に由るか。最後に彼れの説明せる石版絵の額は、此応接間に於て最も珍奇なる紀念品たりき。旧式の武装を為したる十四五人の軍人は、或は鉄砲を捧げ、或は刀を撫して撮影せられぬ。而して彼れは三十歳前後の血気盛りなる風貌に於て其の中に見出されしが、其の面影は今も争はれぬ肖似を認識せしめたりき。此石版絵は、彼れが会津征伐より凱旋して、部下の士官を随へ、江戸市中を遊観したる時、通り掛けの写真屋にて撮影したるものゝ複製なり。彼れは之れを説明しつゝ滄桑の感に堪へざるものゝ如し。
顧れば彼れの出発点は軍人にして、中ごろ改革家と為り、国会論者と為り、政党の首領と為り、終には社会改良家と為りて、最も平和なる生涯に入る。是れ譬へば急湍変じて激流と為り、更に変じて静流と為り、而して後一碧洋々たる湖沼と為れるが如し。此の点よりいへば、人生自然の順序を経過したりといふ可し。然れども彼れの生涯を一貫して渝らざるものは、利害よりも良心に動され易き性情是れなり。是れ彼れの彼れたる所以なり。(三十五年十月)
古稀の板垣伯
※[#丸中黒、1−3−26]三月十八日紅葉館に開かれたる板垣伯古稀の寿筵は、無限の同情と靄々たる和気とを以て満たされた近年の盛会であつた。伯の晩年は甚だ寂寞で、殆ど社会に忘られて居つたが、而も伯は社会に忘れらるゝのを怨みもせず、悲みもせず、又毫も自分に対する国民の記憶を要求もしない。こゝらが板垣伯の人格の尊い所であらう。
※[#丸中黒、1−3−26]元来伯は犠牲的精神に富める義人の典型であつて、政治家といふ柄ではない。故に政治上に於ては、伯よりも大なる事業を成した人は幾らもある。併し功労の多少は別問題として、伯は明治史劇の或る重なる部分を勤めた役者であるに相違ない。
※[#丸中黒、1−3−26]民権自由論は決して伯の専売品ではない。故木戸公や、今の伊藤侯大隈伯などは、伯よりも以前に、少なくとも伯と同時代頃には、民権自由の意義を領解して居つたのである。士族の特権を廃して四民平等の制度を設けたのは、即ち民権自由論より割り出した改革で、此の改革は、勿論伯一人の発議ではないのである。
※[#丸中黒、1−3−26]民選議院設立の建白といつても伯の首唱ではなく、当時の政府反対党が案出したる政略的意見であるといふ方が適当である。伯は其の連名の一人たる外に、更に特筆大書すべき異彩を有
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