妥協の爲に反對黨としての立場迄をも全く失はしめたるを稱して、政黨の本分を紊りたると爲すものありと雖も、妥協は政府と議會との衝突を避くるを大趣意としたるがゆゑに[#「妥協は政府と議會との衝突を避くるを大趣意としたるがゆゑに」に傍点]、若し形式的に妥協を是認して[#「若し形式的に妥協を是認して」に傍点]、他の方法例へば豫算問題の討議に於て側面より政府を苦むるが如き擧に出でむか[#「他の方法例へば豫算問題の討議に於て側面より政府を苦むるが如き擧に出でむか」に傍点]、妥協の大趣意は全く破れむ[#「妥協の大趣意は全く破れむ」に傍点]、伊藤侯にして斯くの如き馬鹿らしき演劇を承認すべしと謂はむや[#「伊藤侯にして斯くの如き馬鹿らしき演劇を承認すべしと謂はむや」に傍点]。但だ侯が黨首として部下を指導するの術を盡さざる所ありしは[#「但だ侯が黨首として部下を指導するの術を盡さざる所ありしは」に白丸傍点]、何人も亦之れを否定する能はざるを惜むのみ[#「何人も亦之れを否定する能はざるを惜むのみ」に白丸傍点]。蓋し妥協の内容に付ては、侯は詳細に常務委員に説明せずして、彼等をして突然現内閣と交渉せしめたり、彼等は總裁が唯だ妥協の端緒を開き置きたるのみにて、其の内容は更に之れを協定するに十分の餘地あるべしと信ぜしならむ。而も一たび現内閣員と交渉するに及び、妥協の内容は、既に政府と伊藤侯との間に協定を經たるを審かにして一驚を喫したりしが如し。是れ殆ど常務委員を死地に陷れたるものに非ずや。其の專制を用ゆる度に過ぎて、會員をして侯の一擧一動を端睨する能はざらしめたるは、決して人心を收攬するの道にはあらず。侯は此點に於て部下の離叛を招ぐに至りたるは、亦止むを得ざるの數なりといふべし。
 或は曰く、侯は黨首の責任を忘れて、單に元老たるの位地に於て政府と妥協せり、是れ立憲政治家より藩閥政治家に退却するの態度に非ずやと。黨派政治と立憲政治とを混同する黨人は、動もすれば此の言を爲して侯を議せむとせり。然れども是れ恐らくは侯を誤解するものならむ。蓋し侯は黨派に殉ぜざると同じく、亦藩閥にも殉ぜざるの政治家なり。侯にして藩閥に殉ずるほどの愚人ならば初めより政友會を組織する如き無益の勞苦を爲すの謂れなく、さりとて黨派に殉ずるには、侯の思想は餘りに經世的なり。侯は藩閥を超越すると共に黨派をも超越して[#「侯は藩閥を超越すると共に黨派をも超越して」に白丸傍点]、高く自ら地歩を占めたり[#「高く自ら地歩を占めたり」に白丸傍点]。是れ侯が黨人に喜ばれざる所ある如くに[#「是れ侯が黨人に喜ばれざる所ある如くに」に白丸傍点]、又た藩閥者流にも嫌はるゝ所ある原因なり[#「又た藩閥者流にも嫌はるゝ所ある原因なり」に白丸傍点]。侯は國家の元老たる身分を自覺するがゆゑに[#「侯は國家の元老たる身分を自覺するがゆゑに」に白丸傍点]、時としては黨派の側に立ちて藩閥と爭ふことあるべく[#「時としては黨派の側に立ちて藩閥と爭ふことあるべく」に白丸傍点]、時としては藩閥の忠言者と爲りて黨人の疑惑を惹き起すことあるべく[#「時としては藩閥の忠言者と爲りて黨人の疑惑を惹き起すことあるべく」に白丸傍点]、則ち今囘の和協問題の如き其一發現なりといふも可也[#「則ち今囘の和協問題の如き其一發現なりといふも可也」に白丸傍点]。要するに侯は近かき將來までは[#「要するに侯は近かき將來までは」に白丸傍点]、暫らく政界の大導師として[#「暫らく政界の大導師として」に白丸傍点]、朝野政治家の過失を矯正するを任務とするの最も適當なるを見る[#「朝野政治家の過失を矯正するを任務とするの最も適當なるを見る」に白丸傍点]、是れ侯の如き有力なる元老が國家に對する最高の義務なるべし[#「是れ侯の如き有力なる元老が國家に對する最高の義務なるべし」に白丸傍点]。
 若し夫れ政界の革新を號呼して、漫に元老を無用視する黨人輩は、是れ未だ政界の現状を領解せざるものなり。歐洲立憲國には固より我國に存在する元老の如きものなし。然れども我國に於ては、元老は實に一種の政治的勢力なり。政友會は伊藤侯を離れて必らず存立を危くすべく、憲政本黨は大隈伯に依りて僅に其の形體を維持せり。世に新政黨組織を傳ふるものありと雖ども孰れの元老かを奉じて之れを首領と爲すに非ずむば、政黨らしき政黨は容易に生まれざるなり。されば總裁の行動に不平なるが爲に政友會を退會したる諸氏の如きは、今や立場なき沙漠の亡者にして、殆ど其の身を寄するの地なからむとするにあらずや。彼等は孰れも個人として未だ元老に代るの資望を有せざれば、現存政黨以外に新政黨を造るの困難なるは論ずるまでもなく、たとひ之れを組織することありとするも之れが首領たるものは必らず元老の一人たるべし。而して伊藤侯以上の首領を現存元
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