したる所以なりと。此の説恐らくは揣摩臆測にして眞相を得たるものにはあらじ。余の聞ける所にては、伊藤侯は二三年以來頓に健康に異状を呈し[#「伊藤侯は二三年以來頓に健康に異状を呈し」に白丸傍点]、筋肉の機能次第に衰憊したると共に[#「筋肉の機能次第に衰憊したると共に」に白丸傍点]、神經系統の感應作用は反つて過敏と爲り[#「神經系統の感應作用は反つて過敏と爲り」に白丸傍点]、隨つて喜怒愛憎の變轉甚だ迅速にして端睨す可からざるものありと[#「隨つて喜怒愛憎の變轉甚だ迅速にして端睨す可からざるものありと」に白丸傍点]。侯の近状果して斯くの如しとせば、其何等かの刺戟に由りて、一時若くは或場合に於て、伊東男と感情上の衝突ありしやも知る可からず。されど此れが爲に侯と伊東男との關係一變したりとは想像し得可くもあらず。而も伊東男の新内閣に入るを避けたるは他なし。一言にしていへば、侯は政友會の創立に付ても[#「侯は政友會の創立に付ても」に傍点]、將た新内閣の組織に付ても[#「將た新内閣の組織に付ても」に傍点]、多くは伊東男に謀らず[#「多くは伊東男に謀らず」に傍点]、たとひ之を謀るも多くは其の意見を容れずして[#「たとひ之を謀るも多くは其の意見を容れずして」に傍点]、反つて伊東男の平生敵視せる他の人士に謀りたるが故に非ずや[#「反つて伊東男の平生敵視せる他の人士に謀りたるが故に非ずや」に傍点]。蓋し彼れは新内閣を認めて豫後不良の症状ありと爲し[#「蓋し彼れは新内閣を認めて豫後不良の症状ありと爲し」に白丸傍点]、伊藤侯をして早晩之れを自覺せしめて[#「伊藤侯をして早晩之れを自覺せしめて」に白丸傍点]、局外より侯を救ひ出だすの手段を取らむと欲するものゝ如し[#「局外より侯を救ひ出だすの手段を取らむと欲するものゝ如し」に白丸傍点]。唯だ此の推定は[#「唯だ此の推定は」に白丸傍点]、彼と伊藤侯との關係に就て[#「彼と伊藤侯との關係に就て」に白丸傍点]、常識上より觀察したるに出づ[#「常識上より觀察したるに出づ」に白丸傍点]。若し彼れに別種の隱謀奇策ありとせば[#「若し彼れに別種の隱謀奇策ありとせば」に白丸傍点]、是れ固より彼れ以外の人の窺ひ知る可き所に非ず[#「是れ固より彼れ以外の人の窺ひ知る可き所に非ず」に白丸傍点]。
 井上伯の失蹤は、渡邊子の心機一轉と相反襯して一幅の奇觀を表出せり。世間の
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