]※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは啻に沼南、木堂より遙に後輩なるのみならず、現今著名なる黨人中に在ては、彼れは最も年少なるものゝ一人にして、且つ其從來の經歴よりいへば、箕浦青洲、肥塚巴月等も皆彼れの先輩にして、彼れは僅に加藤城陽、角田竹冷等と略々伯仲の間に在りしものなり※[#白ゴマ、1−3−29]然るに今や彼れは多數の先輩を凌駕して、沼南、木堂と併び稱せられ、其名聲は却つて此二人の上に出でむとするは何ぞや。
 顧ふに議會開設以前までの學堂は、唯だ夸大なる空想と[#「唯だ夸大なる空想と」に白丸傍点]、奇矯なる言動とを以て[#「奇矯なる言動とを以て」に白丸傍点]、漫に聞達を世間に求め[#「漫に聞達を世間に求め」に白丸傍点]、天下經綸の實務は一切夢中にして[#「天下經綸の實務は一切夢中にして」に白丸傍点]、獨り氣を負ひ[#「獨り氣を負ひ」に白丸傍点]、才を恃み[#「才を恃み」に白丸傍点]、好むで英雄を氣取り大政治家を擬したる腕白書生たりしに過ぎず[#「好むで英雄を氣取り大政治家を擬したる腕白書生たりしに過ぎず」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]試に其事實を擧げむか、明治二十年、時の伊藤内閣の歐化政略が、激烈なる輿論の攻撃を受け、物情洶々として形勢穩かならざるや、忽焉として保安條例なるもの天來し、處士政客大抵京城の外に放逐せられ、滿城肅然たり※[#白ゴマ、1−3−29]當時學堂亦逐客の伍伴となるや、彼れ莊嚴正色人に語つて曰く、伊藤博文はナポレオン三世を學びて、クーデターを行ふ、我れは即ち當年のユーゴーたらむと※[#白ゴマ、1−3−29]是れ一時の諧謔に非ずして[#「是れ一時の諧謔に非ずして」に白丸傍点]、實に彼れの肺肝より出でたる眞面目の語なりき[#「實に彼れの肺肝より出でたる眞面目の語なりき」に白丸傍点]※[#白ゴマ、1−3−29]聞く者皆其抱負の不倫を笑ふと雖も、當時彼は疑ひもなく、一個愛す可き小ユーゴーたりしなり※[#白ゴマ、1−3−29]後ち彼れが英京龍動に遊ぶや、日に學者政治家と來往して氣※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]を吐く、其論往々無責任にして放縱に屬するものあり、英人某氏諭して曰く、政治家は言に小心にして、行に大膽なるを要す※[#白ゴマ、1−3−29]子夫れ少しく修養を積めよ、彼れ聲に應じて曰く、我は言行共に壯快偉大なる政治家たるを
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