んだ方でもない。又赤心を人の腹中に預けて置て毫も疑はぬやうの英雄收攬術には頗る缺けて居るらしい。曾て馬場辰猪、大石正巳、末廣重恭などが伯と喧譁別れをしたのも之れが爲である。
 ※[#丸中黒、1−3−26]故に伯は個人として餘り士心を得た方でなかつた。併し伯は人氣を取ることを目的としないで、唯だ自由民權論を終始一日の如く唱道した。伯の政治生涯は性格に依て指導せられたる所少なく、理想に依て指導せられた所が多い。伯は理想を以て國民を教化せむと勉めたのであつた。其の結果板垣黨が生れずして自由黨が生れた。伯を中心としたる私黨ではなく、理想を中心としたる公黨が出來上つたのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]自由黨に續て改進黨が現はれたが、此の改進黨は本來をいへば大隈伯が自分の直參や郎等を集めて作つたもので、實際初めは伯を中心として組織せられたものであつたから、何となく大隈臭い所があつた。世人も亦一名之れを大隈黨といつたのである。然るに自由黨は少しも板垣臭い所はなかつた。どう見ても板垣黨といふべき形も色もなかつたのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]勿論當時自由黨は屡々過激の行動が有て、政府より革命黨か叛逆人の寄合かのやうに思はれ、世間も亦自由黨といへば粗暴なる壯士の團體であると認めたものも多かつたから、着實に政治の改良を企てやうとするものは、自由黨よりも改進黨に赴くの傾向があつた。
 ※[#丸中黒、1−3−26]併し伯の東奔西走の勞苦は空しからず、追々自由黨の勢力は擴がつて、地方の政治的地圖の大部分は、自由黨に依て占領せられた。今の政友會が政黨中で最も幅を利かして居るのは伯の植ゑ付けた苗木の伸びたのに過ぎない。
 ※[#丸中黒、1−3−26]伯の事業として特筆すべきものは即ちこれであつて、明治の政黨史を編するものは、必らず伯の爲に多くの頁數を割愛せねばならぬと考へる。
 ※[#丸中黒、1−3−26]勿論議會開設後の自由黨は、最早自由民權論といふやうな理想ばかりで動いて居る譯には往かない。政黨の仕事は、重に議會の掛引で空理空論よりも實際問題を處置せねばならぬ。そこで自由黨は次第に板垣伯の指導に滿足しなくなつた。伯も亦餘り政治には熱心でなかつたやうで、事實をいへば、唯だ名ばかりの首領であつた。
 ※[#丸中黒、1−3−26]星亨の如き腕白者が自由黨の實權を握つたのも、即ち其
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