(三十五年十月)

     古稀の板垣伯

 ※[#丸中黒、1−3−26]三月十八日紅葉館に開かれたる板垣伯古稀の壽筵は、無限の同情と靄々たる和氣とを以て滿たされた近年の盛會であつた。伯の晩年は甚だ寂寞で、殆ど社會に忘られて居つたが、而も伯は社會に忘れらるゝのを怨みもせず、悲みもせず、又毫も自分に對する國民の記憶を要求もしない。こゝらが板垣伯の人格の尊い所であらう。
 ※[#丸中黒、1−3−26]元來伯は犧牲的精神に富める義人の典型であつて、政治家といふ柄ではない。故に政治上に於ては、伯よりも大なる事業を成した人は幾らもある。併し功勞の多少は別問題として、伯は明治史劇の或る重なる部分を勤めた役者であるに相違ない。
 ※[#丸中黒、1−3−26]民權自由論は決して伯の專賣品ではない。故木戸公や、今の伊藤侯大隈伯などは、伯よりも以前に、少なくとも伯と同時代頃には、民權自由の意義を領解して居つたのである。士族の特權を廢して四民平等の制度を設けたのは、即ち民權自由論より割り出した改革で、此の改革は、勿論伯一人の發議ではないのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]民選議院設立の建白といつても伯の首唱ではなく、當時の政府反對黨が案出したる政略的意見であるといふ方が適當である。伯は其の連名の一人たる外に、更に特筆大書すべき異彩を有した譯ではないのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]立憲政治を最も親切に研究した政治家は、故木戸公で、地方官會議を開いたのは其の準備であつたといつても宜しい。故木戸公のみならず、維新の元勳諸公は總て立憲政治の必要を認めて居つたのである。論より證據、維新の元勳中、誰れあつて立憲政治に反對した者がなかつたのを見ても分かる。
 ※[#丸中黒、1−3−26]切にいへば、明治政府は最初より立憲政治を主義としたものである。維新の大詔に、萬機公論に決すべしとありしは、最も明快に此の主義を宣示したので、明治初年早くも集議院といへる會議組織の官衙を設けたのも、立憲政治の地ならしを試みたのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]されば二十三年の國會開設は、明治政府が維新以來準備して居つた大事業を完成したまでゝあつて、板垣伯の運動に餘儀なくされたのでも何んでもないのである。
 ※[#丸中黒、1−3−26]且つ板垣伯の主張したる民權自由論は、佛國革命時代に行はれたルーソ
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