十四日に於て、余は無限の興味と大なる敬意とを以て二個の盛典を見たり。一は早稻田大學の學園に擧行せられたる大隈伯の銅像除幕式にして、一は外務省構内に擧行せられたる故陸奧伯の其れなり。大隈伯は現在の人にして、且つ若干の未來を有し、陸奧伯は過去の人にして、其の傳記は十年以前に終結せり。然れども偉人傑士は、千古尚ほ毀譽褒貶の定らざる半面を存すると共に、他の半面の妍醜は、寧ろ其の觸接したる同時代の國民に審判せらるゝを適當とするの理由なきにあらず。余は此の理由に於て、兩伯に關する少許の智識を語らむとす。
 大隈伯の公生涯に於て、其の歴史的價値の最も大なる部分二つあり。新らしき政治的日本を建設せむが爲に政黨を組織したることゝ[#「新らしき政治的日本を建設せむが爲に政黨を組織したることゝ」に白三角傍点]、學問の獨立を謀らむが爲に[#「學問の獨立を謀らむが爲に」に白三角傍点]、官學に對抗すべき私學を興したること[#「官學に對抗すべき私學を興したること」に白三角傍点]是れなり。板垣伯は亦政黨を組織したるによりて、明治時代の一代表的人物となりき。福澤翁は亦曾て私學を興したるによりて、不朽の紀念を文化事業に遺したりき。今ま大隈伯の能く一人にして板垣伯及び福澤翁の爲したるものを兼濟したるを見るものは、誰れか伯を近世の偉人と稱するに反對するものあらむや。且つ夫れ板垣伯は、始めて自由黨を組織するに方てや、其の名望勢力實に一時を曠うするの概ありしも、年所を經るに從つて漸く尾大不掉の状を示し、終に殆ど國民の記憶より遠ざかりて、杳然聞ゆるなきの末路に立てり。之れを大隈伯が[#「之れを大隈伯が」に白丸傍点]、久しく政權と近接せざるに拘らず[#「久しく政權と近接せざるに拘らず」に白丸傍点]、常に夫の終始順境を來往する伊藤山縣兩公と盛名を※[#「にんべん+牟」、第3水準1−14−22]うし[#「常に夫の終始順境を來往する伊藤山縣兩公と盛名を※[#「にんべん+牟」、第3水準1−14−22]うし」に白丸傍点]、既に政黨の總理を辭任したる後すらも[#「既に政黨の總理を辭任したる後すらも」に白丸傍点]、尚ほ且つ生氣溌溂たる政治家たるを失はざるに比すれば[#「尚ほ且つ生氣溌溂たる政治家たるを失はざるに比すれば」に白丸傍点]、其の差果して奈何と爲すや[#「其の差果して奈何と爲すや」に白丸傍点]。是れ現在の大事實なり。何
前へ 次へ
全249ページ中88ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鳥谷部 春汀 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング