で、聴《き》くのをやめて外へ遊びに出て了うのでした。
 また別の日には、父の何年ぶりかの所蔵品《もちもの》の虫干もありました。此の日には私は離れの方へ見に行きました。
 刀《かたな》だの、軸ものだの、文庫にはいっている古い書類だの、そのほか色々な器物《うつわ》が、古道具屋の店みたいに並べてありました。
 上に円い枠《わく》のついた三本脚の黒塗の台に、硝子鉢が篏めてありましたが、父はそれを『ギヤマンの金魚鉢』と呼んでいました。
 私は刀に少し触《さわ》ってみたり、文庫の中をのぞいて見たりするのですが、その中には祖父の句集や、道中記などの半紙綴りのものなどもありました。
 父が此の上もなく大切にしている堆朱《ついしゅ》の棗《なつめ》というのを覗かしてもらいましたら、それは私のおはじきを納れるによい容器《いれもの》のように思われました。
 なおも私があちこち見廻していましたら、『絵ならおもしろい錦絵がそこにある。それをご覧』と、父は片隅を指してくれました。
 糊《のり》でつながれて部厚く巻込まれた錦絵を私が手に取り上げましたら、父が片方を徐かにほぐして行きながら、縁の端まで行って立ち止まってくれるのでした。絵巻きには長い顔や、大きな眼や、手拭かぶりや、蛇目傘《じゃのめがさ》や、柳の木や、黒塗の下駄などが、色刷の一枚ごとの美しさを競うように、眼うつりになって、きらびやかにちらついて見えるのでした。
 此の稀《たま》の虫干しの日に、遂に私は粗相をしました。うっかり何かにぶつけて、父の大切にしている赤い絵模様の水差《みずさし》の握手《にぎりて》を折って了ったのでした。その時胸はドキドキと鳴り私はすぐには許しも乞えませんでした。でも
『もう済んで了ったことだ、これからは気をつけなさい』と父は気をとりなおして云ってくれました。此の時の父のやさしさは子供心にもふかく肝《きも》に応《こた》えたものでありました。



底本:「日本の名随筆18・夏」作品社
   1984(昭和59)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「鷹野つぎ著作集 第二巻」谷島屋
   1979(昭和54)年4月
※「虫干し」は回想記「四季の子供」1941年に収録。
入力:砂場清隆
校正:菅野朋子
2000年7月28日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.
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