、けんどんに納め、三四足の新らしい下駄や草履、積み重ねた手筥、洋傘のようなものまで、せまいなかへ無理に押し込もうとしていると、
「たいしたお荷物ですね」と、看護婦も云い添えた。
「季節のめぐりは早いですから、いちいち送るよりはと思いましてな」
 温厚そうな愛情のこもった声で、その兄は説明した。
「私のありったけよ」
 若い病人も笑ってみせた。
「なにそうでもないさ、良い帯や紋付なら退院の日まであずかって置いてある」
 あずかって置いてある、という説明が、腑に落ちかねたらしく、看護婦は微笑だけのこして立ち去って行った。
 とよ子が安臥してからは、私への挨拶もそこそこに俄かに忙しそうにして中庭の出入口の方へ、その兄は駈けるような後姿を見せて帰って行った。
 見るから軽そうなひとが隣りに入ったので私はよかったと思った。病人というものは、重ければ軽い人に、軽ければ重い人に気兼ねする複雑な心理にあやつられるものであった。そこへ行くと軽い者同志が、まず病人世界の楽園と云えた。
 中じきりの衝立を看護婦さんが、半ばずらしてくれたので、私たちは間もなく顔を向けあって話しはじめた。
「再発ですか」
「ええ、故郷へかえって山など駈け歩いたものですから」
 娘はあどけない笑顔で答えた。
 翌日からは娘は厠にも通い、身のまわりのこともたいてい自分の手でしていた。腸が傷んでいるとのことであったが、食事も普通食ですましていた。
 見舞いに来た私の夫も病む娘をいとしがって食べ物を分けたりした。ある時も近くで話していたが、娘の指の間に爛れのあるのを見つけた。
「水虫のようですね」
「いいえ、これは私がたくさんお裁縫したからですの、針でちょっと刺したところが、こんなになって癒りませんの」
「ふむ、それは打棄《うっちゃっ》とかないで、すぐ手当をしてもらいなさい」
 娘は涼しい大きな瞳をあげて、吃驚したように夫を見上げていた。
 病床の日課は割合忙しくて朝、午後、夕方の検温や、その間に巡ってくる院長の回診日や、清拭日やいろいろあった。
 坂上とよ子はそれでも合間々々の十日足らずの間に、私にぼんやり輪郭を描かせるほどの、身の上話をきかせていた。
 一昨々年十六歳の初秋に父を喪った末娘の将来を心配して老いた母は上京に意を決し、群馬の故郷の家をひとにあずけてから、一時母娘とも東京の長男の家に身を寄せた。
 老いた母はそこで長男の嫁と三人の男女の孫たちの朝夕に接近した。肉身の家族は複雑さを増した。いたいけな孫たちは時々若い叔母を無視して、用事を女中のように言いつけたり、嫁もまた雑巾のあて方までに口を出す様子であった。
 老いた母は出歩きに伴われたり、美味しいものも馳走になったりしたが、この嫁の親切は老いた母の悲しみを余計|刳《えぐ》った。末娘に棘々しくあたる痛みが、どんな嫁のかしずきにも癒やされなかった。ある時にはもう一人の次男の家へも母娘は身を寄せた。そこには子供はなかったが、夫婦の間に母娘の食客がもとで、いさかいが始まることも度重なるようになった。
「とよ子さんは矢張り長兄《にい》さんの所にいるのが順席ですよ。そしてお母さんもなんとか早く故郷に帰えられなくちゃお差支えでしょう」と次男の嫁もすすめた。
 老いた母はものかげで末娘に云った。
「のう、とよ子、お前にも孝の道というものはわかるまい。親がああして欲しいこうして頼むというせつない気持を、深あく察するのが孝というもんだ」
 その時の母を語るとよ子のあどけない瞳には、さんさんと涙があふれ落ちていた。それからまた母は語をつづけたと云う。
「わしはの、二宮金次郎が母親の気持を察した。あれには感心する。里子に出した赤児を慕って泣く母親の心を察してまたひきとってあげたという、あの察しの深さには、わしはなんとも物が云えないほどありがたい」
 その後また長兄の家に戻った母娘は、今度は老いた母の考えつめた主張で、末娘に何か手職を持たせたい方針となり、やがてある百貨店の裁縫部へ住込ませることで、打開の道を見つけた。
 とよ子が若い同僚たちに交って、他人のなかに住みはじめると、老いた母ははじめて安心して故郷へ帰った。
 とよ子は縫い仕事が面白く、腕のあがったことも、きびしい主任に認められ出したが、一年足らずで十八歳の春には病いを発した。
 長兄の家へ戻ってくると、とよ子の病気が伝染性のものと知って、嫂の恐れ方は一通りでなかった。自分の子供を一歩も近づけず、夫を促して、二三日のうちにもう、ここの私たちのベッドの一つに、とよ子を送りとどけて了った。
「わたしは入院したことを故郷の母に知らせませんでしたの。それよりも母の知らない間に早くよくなろうと思って、一生懸命養生しましたの」
 とよ子はにこにこしながら、半年も経つとすっかり回復したよろ
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