いた母はそこで長男の嫁と三人の男女の孫たちの朝夕に接近した。肉身の家族は複雑さを増した。いたいけな孫たちは時々若い叔母を無視して、用事を女中のように言いつけたり、嫁もまた雑巾のあて方までに口を出す様子であった。
老いた母は出歩きに伴われたり、美味しいものも馳走になったりしたが、この嫁の親切は老いた母の悲しみを余計|刳《えぐ》った。末娘に棘々しくあたる痛みが、どんな嫁のかしずきにも癒やされなかった。ある時にはもう一人の次男の家へも母娘は身を寄せた。そこには子供はなかったが、夫婦の間に母娘の食客がもとで、いさかいが始まることも度重なるようになった。
「とよ子さんは矢張り長兄《にい》さんの所にいるのが順席ですよ。そしてお母さんもなんとか早く故郷に帰えられなくちゃお差支えでしょう」と次男の嫁もすすめた。
老いた母はものかげで末娘に云った。
「のう、とよ子、お前にも孝の道というものはわかるまい。親がああして欲しいこうして頼むというせつない気持を、深あく察するのが孝というもんだ」
その時の母を語るとよ子のあどけない瞳には、さんさんと涙があふれ落ちていた。それからまた母は語をつづけたと云う。
「わしはの、二宮金次郎が母親の気持を察した。あれには感心する。里子に出した赤児を慕って泣く母親の心を察してまたひきとってあげたという、あの察しの深さには、わしはなんとも物が云えないほどありがたい」
その後また長兄の家に戻った母娘は、今度は老いた母の考えつめた主張で、末娘に何か手職を持たせたい方針となり、やがてある百貨店の裁縫部へ住込ませることで、打開の道を見つけた。
とよ子が若い同僚たちに交って、他人のなかに住みはじめると、老いた母ははじめて安心して故郷へ帰った。
とよ子は縫い仕事が面白く、腕のあがったことも、きびしい主任に認められ出したが、一年足らずで十八歳の春には病いを発した。
長兄の家へ戻ってくると、とよ子の病気が伝染性のものと知って、嫂の恐れ方は一通りでなかった。自分の子供を一歩も近づけず、夫を促して、二三日のうちにもう、ここの私たちのベッドの一つに、とよ子を送りとどけて了った。
「わたしは入院したことを故郷の母に知らせませんでしたの。それよりも母の知らない間に早くよくなろうと思って、一生懸命養生しましたの」
とよ子はにこにこしながら、半年も経つとすっかり回復したよろ
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