で、なかなか見舞いにも来られませんが」
「ほんとに病人がでますと、たいへんですね。私たちにもおぼえのあることで、そこは充分お察しいたします」
「そう有仰っていただくと、思うようにしてやれないで恥かしくなりますが、何分年のゆかない者のことなんで、いろいろ教えてやって下さいまし」
 次兄はそう云うと軽いお辞儀を残して、再び妹のベッドの方へ戻って行った。
 私はこういう煮えきらない近づきの挨拶ではあったが、それでも今に次兄が病院の事務室の方か、看護婦主任の室の方へ行くのではないかと心待たれた。既に再度の通知をうけて来ているはずのかれが、一刻も早くそうしないのが腑に落ちなかった。
 とよ子のベッドの方では、先刻とまるきり別人のような低い優しい次兄の声がしていた。
「ね、何か欲しいものはないの、次兄さんが直ぐ表へ出て買ってきてあげるよ」
「………」
「お云い、云ってごらん。え? なんでも遠慮なくお云い」
「下痢してお肚が痛むの」と、重いとよ子の声がやっと聴きとれた。
 すると次兄の声はふいに先刻のように大きくなって、
「それなら下痢止めの高価《たか》い良い薬が、ちゃんと買ってやってあるではないか、何故あれを使わない」
「あれと同じ炭末《たんまつ》なら、病院でも服んでいるの」
 次兄の声は途切れた。とたんに急にかれが私のベッドの裾を、駈け過ぎて行く姿が見え、扉のそとへ消えて行った。
 あれが帰って行く時の姿とは、さすがに私にも信じられなかった。とよ子のベッドが、じっと静まっていると、私まで再び待ち設けるものがあるように、深い沈黙におちてしまった。
 果して二十分もするとかれがあたふたと戻ってきた。いきなり妹の方へは行かずに私のベッドに近づき、手に一つの小箱を掲げて見せた。
「驚ろきましたねえ、薬の高価《たか》くなったにも。このソマトーゼはもとは六円五十銭でしたが、只今は十円近いでしたよ。いや実に高価《たか》くなったものです」
 私は黙って小箱などにはひと眼もくれず、じっとかれの方を見守らずにいなかった。私は漸く妹の病苦よりも金銭を先に云う彼が憎くなってきた。私は撥ね返す沈黙で彼れをむこうへ追いやりたかった。
 到頭この日も附添婦を雇う話は、こんなことで有耶無耶のうちに過ぎてしまった。
 ところがその翌日の昼ごろには、うす物の良い身なりをした大兵肥満の女のひとが素通りで、とよ子の
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