こでは地上の多くのものが視野にはいった。
鉄柵を超えると眼の前に一筋の野径が横断して、それに接して彼方へ、見渡すような広い畑地と、草藪の原が展けていた。私は殆ど驚喜してこの広い展望から眼が放せなかった。
そればかりか歩道が、その草藪の原に添うて、むこうに遠く見える街のはずれに続いていることにも気がついた。人がチラホラ通って行った。街のはずれから小さい人影が現われたかと思うと、だんだん大きくなって近づき通りすぎて行った。その通りすぎて行く近くに南窓で見て知っていた病院の裏門もある筈であった。
私はこれほど再び世間の物音に近づいた現在が、ふしぎにも思われた。寝台車でここに運ばれ再び見ることもないかもしれぬと思った街路の近くに、また私は来ていた。むしろ私よりも軽いと云われた病児が、先立ったことにも月日に潜む測りえぬ恫喝が迫っていたことが思われた。
私は新らしい自分のベッドにかえり、感謝に満ちて身を安めた。不幸中の幸福がどんなに深いものであるかを、回復に向う私の心身は噛み占めた。過ぎ去った多くの苦悩や、現在の心配ごともこういう時には、晴れた空の片隅に吹き寄せられた淡い雲の塊りのようであった。
初めての日の夜が来ると、私の窓に添うた廊下を往来する足音も絶え、前後に隣る病室の物音も静まって、私の隣りの空ベッドのあたりが余計|闃《げき》として来た、私はキリギリス籠を思わせるベッド蚊帳におさまって、それでも病躯にちがいないまだ異和のある身を、眠りのなかに忘れて行った。
数日過ぎてからもう夕方に近いころ私の隣りに、肥満した可愛らしい娘が入室した。それと共に私の名札とならんで、坂上とよ子の名札が、入口の扉の上に掲げられた。
運転手風のひとが、夜具や行李や風呂敷包や、いろいろ運び入れているあとから、四十年配の男のひとに伴われて、健康人のような足どりではいって来た娘は、
「あら兄さん、ここはもとの同じベッドよ」と、驚いた声で話していた。
「なるほどそうだね、今度は癒りきるまで養生せよとベッドが云っているようだ」
若い父親と云ってもいい程な年長の兄は、看護婦のととのえるベッドの一方で、いろいろな持物を置場所におさめていた。
木製の箱型ベッドの、けんどん開きになってるところで、衣類の詰っている大型の行李の中へ、さらに風呂敷包みにした真冬のコートや肩掛、ジャケツ類まで合せ入れて
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