十年後のラジオ界
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)必需的《ひつじゅてき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十年|経《た》ったら
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ラジオ[#「ラジオ」に傍点]界はどうなる?
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「ときにAさん。」
「なんだいBさん。」
「十年|経《た》ったら、ラジオ[#「ラジオ」に傍点]界はどうなる?」
「しれたことサ。ラジオ[#「ラジオ」に傍点]界なんてえものは、無くなるにきまってる。」
「へえ、なくなるかい。――今は随分|流行《はや》ってるようだがネ。無くなるとは、ヤレ可哀相に……。」
「お前は気が早い。くやみを言うにゃ、当らないよ。僕はラジオ界[#「ラジオ界」に傍点]がなくなると言ったが、『ラジオ[#「ラジオ」に傍点]』までが無くなるとは、言いやしない。」
「ややっこしいネ、Aさん。そんなことが有り得るものかい。」
「勿論サ、Bさん。人間の生活に於ける水や火のように、これからの世の中は、ラジオがすべての方面の生活手段に、必需的《ひつじゅてき》なものとなってゆくのだ。『ラジオ界』などという小さい城壁《じょうへき》にたてこもることが許されなくなる。一にもラジオ、二にもラジオで、結局、世界はラジオ漬けになるであろうよ。」
「ラジオ漬け――には、今から謝っとくよ。この懐しい世界が、あの化物のように正体の判らないラジオなんぞにつかってしまうと聞いては、生きているのが苦しい。僕はそんなことになる前に、自殺する方が、ましだ。」
「君には気の毒だがネBさん。自殺をしたって、ラジオは自殺者を追い駆ける。なにしろこの世と、死後のあの世とが、ラジオで連絡されるのだからネ。――たとえば此処にC子というトテシャンがあったとする。彼女は或る甚《はなは》だ面目ないことを仕でかし、面目《めんもく》なさにシオらしく、ドボーンと投身自殺を果したとする。やがていよいよ死の国で、わがC子は正気《しょうき》づく。すると憩《いこ》う遑《いとま》もなく、忽《たちま》ち娑婆《しゃば》から各新聞社が自殺原因をラジオで問い合わせて来る。親たちや、友人や、恋人もラジオで訊《たず》ねて来る。受持区域の交番からオマワリさんが調べに来る。冥土《めいど》に於けるC子の姿は無線遠視《テレヴィジョン》に撮られて、直ちに中央放送局へ中継《なかつぎ》される。娑婆ではこれを、警察庁|公示《こうじ》事項《じこう》のニュースとしてC子の姿を放送する。それは、一ツには冥土への安着を報せ、二ツには娑婆に債権者でもあれば今の内に申し出て、何とか解決方法をとらせるためである……」
「一寸待ったAさん。君の話は面白いが、何だか落語か法螺大王《ほらだいおう》の話をきいているような気がする。Aさん、怒っちゃいけないよ――君は本当に正気《しょうき》で言ってるのかい。」
「度し難いBさん。これは皆、専門の学術から割り出したもので、根拠のないことなど、僕は喋《しゃべ》らない。唯、くだけて話すから、落語のように聴こえるのだ。」
「じゃ不審の点を質問するがネ。何故この世とあの世とがラジオで連絡ができるのだい。」
「早い話が『人間は死すとも霊魂は不滅である』という。これが今から十年経たないうちに物理的に証明されるのだ。霊魂はラジオ、即ち電波を発射する。霊魂がラジオを出すんじゃないか、とは今日でもある一部の学者が考えている。しかし電波ならば其の一番大切な性質であるところの波長が何メートルだか判っていないのだ。これが今から十年以内に発見される。電波長が判ればあとはラジオとして物理的に取り扱えるようになる。」
「フーン、そんなものかな。――それから、冥土に居るC子の姿が何故娑婆から見えるのだい。」
「それは無線遠視《テレヴィジョン》――つまり、『眼で見るラジオ』というのが完成して実用されるからだ。無線遠視《テレヴィジョン》は冥土に於いては夙《つと》に発達している。地獄の絵を見ると、お閻魔《えんま》さまの前に大きな鏡がある。赤鬼青鬼にひったてられて亡者《もうじゃ》がこの鏡の前に立つと、亡者|生前《せいぜん》の罪悪《ざいあく》が一遍の映画となって映り出す。この大魔鏡《だいまきょう》こそは航時機《タイムマシーン》を併用して居る無線遠視器である。」
「脅すぜAさん。じゃ矢張《やっぱ》りお閻魔さまの前に並んでいる『見る眼』や『嗅ぐ鼻』も、ラジオ的に理屈のあるものなのかい。」
「勿論さBさん。『嗅ぐ鼻』は無線方向探知器《ラジオ・デレクションファインダー》の発達したもの。『見る眼』は光電受信機《フォト・エレクトリック・レシーバー》の発達したるものなのサ。これ等も十年後には、君の前へ正体を明らかにするだろう。」
「じゃ、うっかり死ぬわけには行かないネ。無銭飲食をした揚句《あげく》、自殺と出掛けても娑婆から借金取りが無線で押し寄せるなぞ、洒落《しゃれ》にもならない。この世の悪事は、すべて自《みずか》らが償《つぐな》わねばならなくなるわけだネ」
「だから、この世で悪事をするものが絶えてしまう。ラジオのお蔭で、この世ながらの神の国、仏の国となる。有難いじゃないか。」
「――そりゃいいが、この世からあの世へ伸すことができるというからには、あの世の亡者連中もこの世へ、のさばってくることになりゃしないかい。」
「それは大有りさ。幽霊なんかゾロゾロ現れるだろうな。そりゃどうも仕方がないサ。君を思いつめ、君の奥さんを呪って死んだD子の亡霊なんぞ、早速ドロドロとやってくるぜ。」
「ウワーッ。僕は明日から、参禅《さんぜん》生活を始める決心をした!」
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1929(昭和4)年1月号
※この作品は初出時に署名「佐野昌一」で発表されたことが、底本の解題に記載されています。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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