もの」といふ欄に先生が「羅災の人で、もしそのときの火災の進路について場所、風向、時刻について知らせて呉れると、たいへん學術上參考になる。また颱風に遭つた人は、それについても書いて欲しい。」と書かれた。僕は當時、淺草の今戸に居て、九月一日の午後五時ごろに自宅全燒の憂目に遭ひ、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでお仕舞ひだわいと悲壯な覺悟をしなければならなかつたほどの大旋風にも襲はれたので、謹んで水島寒月先生に見聞記を奉つた。そのとき、當時着のみ着のまゝで燒き出された身の上であつたから、懷中はなはだ寒かつたが、この報告はどうしても東京市の地圖に矢印などを書きこまなければ要を盡さないと思つたので、無理に東京の地圖を遠方まで買ひにいつた記憶がある。
さうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折かへし頂いた先生の禮状が、前にいつた唯一の手紙なのである。
惜しいことに、その手紙はその後轉々と引越をしたので、いつか失せてしまひ、今は甚だ殘念に思つてゐるが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重に書かれたもので、今日思ふと實に貴重な寶物であつたのに、惜しいことで
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