科学時潮
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)架空線《かくうせん》はない
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一時間十五|哩《マイル》の速力
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
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地下鉄道の開通
上野、浅草間の地下鉄道が出来た。入って見ると随分明るくて温い。電車の車体は黄色に塗られ、架空線《かくうせん》はないから随《したが》ってポールやパンタグラフは無い。皆レールのところから電気を取っている。一時間十五|哩《マイル》の速力であるから上野、浅草間は五分位で連絡が出来る。
地下鉄道の出来たことは、いろいろな意味に於て愉快である。高速度であるため市民がセーブする時間は大したものであろうし、又東京市が飛行機の襲撃を受けたときは、市民が爆弾を避けるには兎《と》も角《かく》も都合のよいところだし、それから又、外国の探偵小説|並《なみ》に、地下鉄を取扱った面白い創作探偵小説が諸作家によって生れて来ることであろうし、結構なことである。
飯粒と弁当箱
特許局から出ている審決文中の珍なるものを一つ拾い出して御覧に入れる。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「大正十四年|特許願《とっきょねがい》第六五一七号|拒絶査定《きょぜつさてい》不服抗告審判事件ニ付査定スルコト左ノ如シ。
[#ここから1字下げ]
主文。原査定ヲ破毀《はき》ス。
飯粒ノ附着セサル弁当箱ハ特許スヘキモノトス[#「飯粒ノ附着セサル弁当箱ハ特許スヘキモノトス」に傍点]。」
[#ここで字下げ終わり]
「飯粒の附着せざる弁当箱」という文句を読むと、「飯粒の附着していない弁当箱」という意味にとれる。飯を食った後で洗ってしまえば弁当箱には飯粒は附着していないはずである。これが何《ど》うして特許になるのか不思議に思うが、さて其の真意は――。
飯を弁当箱につめ込んで、然るのちこれを取出しても、あとに飯粒が弁当箱の底や周壁に附着(寧《むし》ろ固着)することのない弁当箱。――という意味で、アルミ弁当箱の内側にゼラチンのようなものをひいて置くと、奇妙に飯粒が附着しないことを覘《ねら》った特許願である。
種を明かして仕舞えば何でもないが、兎も角も「飯粒ノ附着セサル弁当箱ハ特許スヘキモノトス」は愉快な文句ではないか。
英米間無線電話
英国と米国との間に行われている公衆用無線電話の其後《そのご》の成績を聞くのに、英国から米国へ掛けられるものが毎日三通話、米国から英国へ掛けられるものが毎日四通話で、合計高《ごうけいだか》平均七通話だそうで、この装置の維持費とトントン位の収入になるそうな。
因《ちなみ》にこの無線電話の通話料は、一分間につき大凡《おおよそ》五十円である。
科学小説『緑の汚点』
近頃読んだ科学小説の中で、一寸面白いなと思ったものの中《うち》に、此の『緑の汚点』というのがある。
時は現代である。アメリカ大陸の山奥に、死の谷と呼ばれるところがあって、其処を訪ねた人間は一人として無事に帰って来たものがない。遠方からそこを望遠鏡で覗《のぞ》いた者の話によると、人間の白骨《はっこつ》ばかりでなく、時々|紛《まぎ》れ込《こ》んで来る熊や鹿や其の他の動物の屍《しかばね》や骨が夥《おびただ》しく死の谷の中に散見するそうである。
この死の谷の不可思議な謎を解くために学者の一団が探検に赴《おもむ》くことになる。一行は二人の死刑囚を同行した。これは死の谷への先登《せんとう》をやらせるためで、万一危険が生じて来てもこの二人の死刑囚が先ずどうかなる筈で、所謂《いわゆる》パイロット・ランプの役目を演ずるわけである。
で、一行は愈々《いよいよ》死の谷へ発足《はっそく》した。山又山を越えて、軈《やが》て死の谷の近くへ来た。一行は望遠鏡の力を借りて観測した。白い蒸気のようなものが飛散している。附近の草木は枯死《こし》し、鳥獣の死屍《しし》も累々《るいるい》たるのが見えた。不図《ふと》、死の谷へ下りようという峠のあたりに人影が見えた。人間らしくはあったが正《まさ》しく怪物であった。一行中の気早《きばや》の若者が、射撃を加えた。人影は峠の彼方《かなた》に消えた。一行はこれをきっかけに戦闘準備を整えて、二名の死刑囚を先登《せんとう》にして、まっしぐらに、峠へ駈け上がって見た。
怪人を射止めた辺りを探したが、その姿はなかった。唯、望遠鏡で見覚えた岩のあたりには、緑色の汚点が方々に夥しくついていた。
先登に駈け出して行った死刑囚の一人が見えなくなっていた。彼は恰《あたか》も此の好機逸すべからずと、死の谷の方へ脱兎《だっと》の如くに早く駈け出して行ったのだった。多|分《ぶん》始めから脱走する心算《つもり》だったらしい、と一同の意見は一致した。――其の時、急に此の脱走したと思った死刑囚が、一行の前にヒョックリ現れたので、一同は驚いた。いやそれよりも一層驚かされたことは、この死刑囚の声音《こわね》がすっかり違って仕舞ったことと其の話の中に盛られた内容なり考えなりが全く別人のようになっていた。其の時、やっと、気が付いたことは、これこそ例の怪人の一人が死刑囚を殺し、其の皮を剥ぎ、服装《なり》も一緒にこれを怪人が着《ちゃく》しているのだという事が判った。
一行は怪人に其の不道徳を詰問《きつもん》したが、一向要領を得なかった。というのも怪人は人を殺すということなんか、別に罪悪だと考えられぬらしい面持《おももち》であった。
一行と怪人との争闘《そうとう》が始まったが、結局一人の怪人に一行は全く征服されてしまう。怪人は人間より遥かに強かった。又学術的に勝《すぐ》れた頭脳を持っているようであった。其時《そのとき》、汽笛のような音響がした。死の谷に立ちのぼる白気《はっき》は愈々《いよいよ》勢いを増した。怪人は一同に別れを告げて去った。一行は見す見すこの恐るべき殺人犯人を見遁《みのが》すより外に仕方がなかった。
――それから数分後、一大音響と共に、突如、死の谷から空中に浮び上った巨大なる物体があった。それは大きな飛行船を縦《たて》にしたようなものであった。それは恐ろしい速力で飛び去った。その速力は光の速力に近いもので人間には迚《とて》も出せそうもないものであった。
でこの解決を物理学界の某博士がつけている。
「この怪人こそは、金星に棲息《せいそく》する者である。彼はラジウム・エマナチオンで、斯《か》くの如き怪速力を出して居るものと思う。地球への来訪の意味は不明だが、多分生物学研究にあるらしい。
最後に予は断言する。この怪人達は、地球人類とは全く別箇の系統から発達進化した生物である。換言《かんげん》すれば彼の怪人は、植物の進化したものである。故《ゆえ》に銃丸が入っても別に死せず、唯「緑の汚点《おてん》」として発見せられた緑汁《りょくじゅう》の流出があるばかりである。殺人罪といったような不道徳を怪人が解せなかったのも、抑々《そもそも》植物には情感のないことを考えてみてもよく判ることではないか。……」
植物系統の生物というところが此の科学小説のヤマであるが、小説として構想の奇抜なことは勿論、実際の学問の上から言っても大いに考えて見る可《べ》き問題ではあるまいか。
底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房
1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
1928(昭和3)年1月号
※初出時の署名は、佐野昌一です。
入力:田中哲郎
校正:土屋隆
2005年5月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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