雑きはまる見取図や、オランダの民家を見るやうな柔らかな屋根の色や線が、おぼろげに記憶に残つてゐるだけで、こまごました技術上の苦心や抱負などは、当時にしてもわれわれには見当さへつかなかつた。
が、そんな夢みたいな設計図でも、専門家の眼には何か見どころがあつたらしい。Gは卒業後しばらく東京のT工務所につとめたのち、ちやうど京城《けいじょう》に新たに建つことになつた大きな病院の仕事に、破格なほど高い椅子《いす》を与へられた。そのまま大陸に居すわつてしまひ、やがて満洲へ渡つたことだけはわれわれの耳に伝はつたが、あとはさつぱり消息が絶えた。つまりGは、例の魏さんに次いでわれわれの視界から姿を消したのである。
そんな彼に、われわれはHの別荘で、ほとんど二十年ぶりに再会したわけだ。懐かしいといふより、一種の間のわるさが先に立つた。年月の空白といふものは、男の場合でも女の場合でも、何ともぎごちないものだからである。男女の間なら、一種の擬勢でそれを埋めることができるかも知れない。だが男どうしでは、その助け舟も頼みにはならない。
外交官のSは、身についた社交辞令で、とにかくGのその後の生活について根掘り葉掘り問ひかけたが、満足な答は得られなかつた。Gが照れる先に、当のSが照れてゐるのだから話にならない。結局わかつたことは、Gが現在独身であること(その口ぶりでは、どうやら一度は結婚したらしくある――)、それにもう一つ、朝鮮や満洲に十ほど病院を建てて来た、といふことだけだつた。口数の少ない曾《かつ》ての彼を見馴《みな》れてゐるわれわれは、それだけで十分満足した。やがて、交際ずきなHの細君《さいくん》の奔走《ほんそう》で、知合ひの夫人や令嬢を招いての夜会になつた。Hの細君としては、早くもGの後添《のちぞい》のことを想像に描いてゐたのかも知れない。その席でGは案外器用な踊りぶりを見せたが、令嬢にしろ夫人にしろ、彼が注意を特にかたむけたと思《おぼ》しい相手は一人もなかつた。大きい眼をむいてひそかに彼の一挙一動に気をくばつてゐたHの細君は、ほとんど露骨な失望の色を見せた。
夜会から一日おいての朝、われわれは夏山登りを思ひついて、あまり気の進まないらしいGに案内役を無理やり承諾させた。Gはしばらく思案してゐたが、浅間といふ誰やらの提案をしりぞけて、一文字山から網張山を経て鼻曲山へ出る尾根歩きならお附合ひしてもいいと言ひ出した。それなら都合によつては、霧積《きりづみ》温泉に泊る手もあるといふのである。
ゆふべの令嬢たちの中からも二人ほど加はることになつて、出発は午《ひる》ちかくなつた。のみならず、その夏はまだこのコースを踏んだ人があまりないと見えて、思はぬ場所に藪《やぶ》がはびこつてゐたりして、女連中の足はなかなか捗《はかど》らなかつた。鼻曲山の頂上にたどり着いた頃は、落日が鬼押出《おにおしだし》の斜面に大きくかかつてゐた。
日帰りはあきらめなければならなかつた。われわれは日の影りかけてゐる東の尾根を霧積へ下りることはやめて、明るい西斜面づたひに小瀬温泉をめざした。温泉に着いてみるともう暗かつた。
その晩、わたしはGと同じ小部屋で寝ることになつた。あかりを消して眼をつぶつてみたが、疲れてゐるくせに眠気がささない。Gも同じらしかつた。殆《ほとん》ど一時間ほどもさうしてゐた挙句に、どつちから言ひだすともなく連れだつて浴室へ下りた。
月はなく、山あひの闇が思ひがけないほどの重さで窓に迫つてゐた。湯川の瀬音が耳もとへ迫つたり、遠まつたりしてゐた。私たちは湯ぶねの中に向ひあつて瞑目《めいもく》したまま、その音を聞くともなしに聞いてゐた。まるで息をしてゐるのが私たち二人ではなくて、却《かえ》つて自然の方であるやうな気がした。
何かしら苦しい沈黙だつた。するとその時、すぐそこの松山の中でギギッとけたたましい啼《な》き声がした。同時にするどい羽音がして、中ぞらへ闇を裂いた。そして消えた。
「なんだらう、雉子《きじ》かな?」と私は言つてみた。
「さあね、五位鷺《ごいさぎ》ぢやないかな。」
Gは目をつぶつたまま、鈍い声で答へた。あとはふたたび瀬音だつた。
湯からあがつて、また寝床へもぐりこんだが、今度もやつぱり寝つけない。先に辛抱を切らしたのはGの方だつた。彼はライターをつけて、枕もとの水をうまさうに飲んだ。私も腹這《はらば》ひになつて、暗がりでタバコを吸ひだした。
「寝られないかい?」とGがきく。
「うん。つい鼻の先まで夢は来てるんだが、どうもいけない。……さつきの鳥の声がまた聞えさうな気なんかがして、また夢のやつ、スイと向うへ逃げちまふ。」
「ああ、あの声か。……やつこさん、蛇《へび》にでも襲はれたかな。」
「さうかも知れない。とにかく、かう耳につきだした
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