ならお附合ひしてもいいと言ひ出した。それなら都合によつては、霧積《きりづみ》温泉に泊る手もあるといふのである。
ゆふべの令嬢たちの中からも二人ほど加はることになつて、出発は午《ひる》ちかくなつた。のみならず、その夏はまだこのコースを踏んだ人があまりないと見えて、思はぬ場所に藪《やぶ》がはびこつてゐたりして、女連中の足はなかなか捗《はかど》らなかつた。鼻曲山の頂上にたどり着いた頃は、落日が鬼押出《おにおしだし》の斜面に大きくかかつてゐた。
日帰りはあきらめなければならなかつた。われわれは日の影りかけてゐる東の尾根を霧積へ下りることはやめて、明るい西斜面づたひに小瀬温泉をめざした。温泉に着いてみるともう暗かつた。
その晩、わたしはGと同じ小部屋で寝ることになつた。あかりを消して眼をつぶつてみたが、疲れてゐるくせに眠気がささない。Gも同じらしかつた。殆《ほとん》ど一時間ほどもさうしてゐた挙句に、どつちから言ひだすともなく連れだつて浴室へ下りた。
月はなく、山あひの闇が思ひがけないほどの重さで窓に迫つてゐた。湯川の瀬音が耳もとへ迫つたり、遠まつたりしてゐた。私たちは湯ぶねの中に向ひあつて瞑目《めいもく》したまま、その音を聞くともなしに聞いてゐた。まるで息をしてゐるのが私たち二人ではなくて、却《かえ》つて自然の方であるやうな気がした。
何かしら苦しい沈黙だつた。するとその時、すぐそこの松山の中でギギッとけたたましい啼《な》き声がした。同時にするどい羽音がして、中ぞらへ闇を裂いた。そして消えた。
「なんだらう、雉子《きじ》かな?」と私は言つてみた。
「さあね、五位鷺《ごいさぎ》ぢやないかな。」
Gは目をつぶつたまま、鈍い声で答へた。あとはふたたび瀬音だつた。
湯からあがつて、また寝床へもぐりこんだが、今度もやつぱり寝つけない。先に辛抱を切らしたのはGの方だつた。彼はライターをつけて、枕もとの水をうまさうに飲んだ。私も腹這《はらば》ひになつて、暗がりでタバコを吸ひだした。
「寝られないかい?」とGがきく。
「うん。つい鼻の先まで夢は来てるんだが、どうもいけない。……さつきの鳥の声がまた聞えさうな気なんかがして、また夢のやつ、スイと向うへ逃げちまふ。」
「ああ、あの声か。……やつこさん、蛇《へび》にでも襲はれたかな。」
「さうかも知れない。とにかく、かう耳につきだした
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