らず母親《ははおや》のようなやさしいほほえみで笑《わら》いかけながら、そうつけたしました。「な、キリストさまが、ついておいでじゃ、さあ、行きなされや。」
 そして、片手《かたて》でわたしのかわりに十|字《じ》をきり、それから、自分も十字をきりました。
 わたしは、十|歩《ぽ》ごとにうしろをふりかえりながら歩いて行きました。マレイはわたしが歩いて行くあいだ、ずっと自分の馬といっしょに立ったまんま、わたしのうしろを見送っていてくれました。わたしがふりかえるたびに、うなずいてみせるのでした。じつは、わたしは、あんなにふるえあがったのが、今ではなんだかマレイにすこし恥《は》ずかしくなりました。けれど、それでも、谷《たに》の斜面《しゃめん》をのぼって、とっつきの納屋《なや》へ出るまでは、やっぱり、おおかみをこわいこわいと思いながら歩いて行ったのです。でも、そこまできたら、こわいなぞという気持は、すっかり消《け》しとんでしまいました。すると、そのときふいに、どこからやってきたのか、うちの飼《か》い犬のヴォルチョークが、わたしにとびつきました。犬がきたので、わたしはもうすっかり元気《げんき》になって、おしまいにもう一ぺん、マレイをふりかえってみました。その顔《かお》は、もうはっきりとは見えませんでしたが、やっぱりやさしくほほえみながら、こちらへ向かってうなずいているような気がします。わたしが手をふると、マレイのほうでも手をふって、それから馬を引き始めました。
「ほれ、よう!」また、マレイのかけ声が遠くつたわってきて、馬は鋤《すき》を引き始めました。

 こんなことが、みんな、どうしたわけか一度にぱっとわたしの心によみがえってきました。おどろいたことには、こまかいことまで、とてもはっきりと、浮《う》かんできたのです。わたしは、急《きゅう》にはっとして、板《いた》の寝床《ねどこ》の上に起きなおりました。そのわたしの顔には、今でもおぼえているのですが、まだ静《しず》かな思い出のあのほほえみが消《き》えずに残《のこ》っていました。ほんの一分ばかり、わたしは、まだ思い出にひたっていたのでした。
 わたしはその日、マレイの畑《はたけ》からうちにもどっても、あの「できごと」のことは、だれにも話しませんでした。それに、できごとというほどのことでもないではありませんか? マレイのことだって、そのころはじきに忘《わす》れてしまったのです。その後《ご》、たまにマレイに出あっても、おおかみのことだけでなく、なんの話だって、一度もしたことはありません。それがどうでしょう、二十年もたったきょう、このシベリアの監獄《かんごく》の中で、ふいにあのときマレイに出あったことが、これほど目に見えるように、こまかいすみずみまで、はっきりと思いだされたのです。つまり、あのマレイとの出あいは、わたしの魂《たましい》の奥《おく》に、わたしがちっとも気がつかないのに、ひとりでにいつのまにかはいりこんでいて、ちょうど必要《ひつよう》なときになって、ふいに浮《う》かび出たわけです。あの貧乏《びんぼう》な百姓《ひゃくしょう》の、やさしい、まるで母親《ははおや》のようなほほえみだの、お祈《いの》りの十|字《じ》のしるしや、あの首《くび》を横《よこ》にふりながら、「ほんに、さぞたまげたこったろうになあ、なあ坊《ぼう》」と言ってくれた声などが、わたしの頭《あたま》に浮かんだのです。とりわけはっきり思いだすのは、わたしのひくひくひっつれるくちびるに、おずおずと、やさしさをこめて、そっとさわった、あの土だらけの太《ふと》い指《ゆび》だったのです。



底本:「世界少年少女文学全集 19 ロシア編2」東京創元社
   1954(昭和29)年9月25日初版発行
   1958(昭和33)年10月20日7刷
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2−67)と「≫」(非常に大きい、2−68)に代えて入力しました。
入力:高柳典子
校正:土屋隆
2009年3月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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