りの者わづか五百騎ばかりを以て、天界橋《てんがいばし》より攻め入る大敵を引受け、さんざんに戦はれましたのち、大将はじめ一騎のこらず討死《うちじに》せられたのでございますが、戦さ果てても御|遺骸《いがい》を収める人もなく、犬狗《いぬえのこ》のやうに草叢《くさむら》に打棄《うちす》ててありましたのを、やうやく御生前に懇意になされた禅僧のゆくりなくも通りすがつた者がありまして、泣く泣くおん亡骸《なきがら》を取収め、陣屋の傍に卓《つくえ》を立て、形ばかりの中陰《ちゅういん》の儀式をしつらへたのでございます。ところが或る日のこと、ふとその禅僧が心づきますと硯箱《すずりばこ》の蓋《ふた》に上絵《うわえ》の短冊が入れてありまして、それには、
[#ここから2字下げ]
さめやらぬ夢とぞ思ふ憂《う》きひとの烟《けむり》となりしその夕べより
[#ここで字下げ終わり]
と、哀れな歌がしたためてあつたと申すことでございます。人の噂《うわさ》では、これはさる公卿《くぎょう》の御息女とこの六郎殿と御契りがありまして、常々|文《ふみ》を通はせられてをられましたが、その方の御歌とか申しました。この物語を耳にしましたとき、あまりの事の似通ひにわたくしは胸をつかれ、こればかりは姫のお耳に入れることではない、この心一つに収めて置かうと思ひ定めましたが、なほも日数を経て何ひとつお土産《みやげ》話もない申訳なさに、ある夕まぐれついこのお話を申上げましたところ、もはや夕闇にまぎれて御|几帳《きちょう》のあたりは朧《おぼ》ろに沈んでをりますなかで、忍び音《ね》に泣き折れられました御様子に、わたくしも母親も共々に覚えず衣の袖《そで》を絞つたことでございました。
そのやうな不吉な兆《きざ》しに心を暗くしながらも、なほもお跡を尋ねてその日その日を過ごしてをりますうち、やがて十一月の声を聞いて二三日がほどを経ました頃でございます。わたくしは今出川の大路を東へ、橋を越して尚《なお》もさ迷つて参りますうち、地獄谷への坂道にやがて掛らうといふあたりで、のそりのそりと前を歩んで参る僧形《そうぎょう》の肩つきが、なんと松王様に生き写しではございませんか。もしやとお声をかけてみますと、振向かれたお顔にやはり間違ひはございませんでした。やれ嬉《うれ》しやとわたくしは走せ寄りまして、お怨《うら》みも御祝著《ごしゅうちゃく》も涙のうちで
前へ
次へ
全33ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
神西 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング