ひもかけぬ相《すがた》で現はれるには現はれましたが、それはまだ先の話でございます。
忘れも致しません、五月二十六日の朝まだき、おつつけ寅《とら》の刻でもありましたらうか、北の方角に当つて時ならぬ太鼓《たいこ》の磨り打ちの音が起りました。つづいてそれがどつと雪崩《なだれ》を打つ鬨《とき》の声に変ります。わたくしは殆《ほとん》どもう寝間着姿で、寝殿《しんでん》のお屋敷に攀《よ》ぢ登つたのでございます。暫《しばら》くは何の見分けもつきませんでしたが、やがて乾方《いぬい》に当つて火の手が上ります。その火が次第に西へ西へと移ると見るまに、夜もほのぼのと明けて参りました。見れば前《さき》の関白様(兼良男|教房《のりふさ》)をはじめ、御一統には悉皆《しっかい》お身仕度を調へて、お廂《ひさし》の間にお出ましになつてをられます。東の御方(兼良側室)はじめ姫君、侍女がたは、いづれも甲斐々々《かいがい》しいお壺装束《つぼそうぞく》。わたくしも、かう成りましては腹巻の一つも巻かなくてはと考へましたが、万が一にも雑兵《ぞうひょう》乱入の砌《みぎり》などには却《かえ》つて僧形《そうぎょう》の方が御一統がたの介抱を申上げるにも好都合かと思ひ返し、慣れぬ手に薙刀《なぎなた》をとるだけのことに致しました。何せこの歳まで、本物の戦さと申すものは人の話に聞くばかり、今になつて顧みますと可笑《おか》しくなりますが、小半時ほどは胴の顫《ふる》へがとまりません。いやはやとんだ初陣《ういじん》ぶりでございました。
そのうちに物見に出ました青侍《あおさぶらい》もぼつぼつ戻つて参ります。その注進によりますと、今日の戦さの中心は洛北《らくほく》とのことで、それも次第に西へ向つて、南一条大宮のあたりに集まつてゆくらしいと申すのでございましたが、時刻が移りますにつれどうしてそんな事ではなく、やがて東のかた百万遍《ひゃくまんべん》、革堂《こうとう》(行願寺)のあたりにも火の手が上ります。これは稍※[#二の字点、1−2−22]《やや》艮方《うしとら》へ寄つてをりますので、折からの東風に黒々とした火煙は西へ西へと流れるばかり、幸ひ桃花坊のあたりは火の粉《こ》もかぶらずにをりますが、もし風の向きでも変つたなら、炎の中をどうして御一統をお落し申さうかと、只《ただ》もう胸を衝《つ》かれるばかりでございます。頼みの綱は兼々《かねが
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