つけ悪《あ》しきにつけ瑞祥《ずいしょう》に胸とどろかせるような、片時の落居《らっきょ》のいとまとてない怪しい心のみだれが、いつしかに太い筋綱に縒《よ》り合わさって、いやいや吾《わ》が身ひとの身なんどは夢幻の池の面《も》にうかぶ束《つか》のまの泡沫《うたかた》にしか過ぎぬ、この怖ろしい乱壊転変《らんえてんぺん》の相《すがた》こそ何かしら新しいものの息吹《いぶ》き、すがすがしい朝を前触れる浄《きよ》めの嵐なのではあるまいかと、わたくしごとの境涯を離れて広々と世を見はるかす健気《けなげ》な覚悟も湧《わ》いて参ります。旧《ふる》き代の富貴《ふうき》、栄耀《えよう》の日ごとに毀《こぼ》たれ焼かれて参るのを見るにつけ、一掬《いっきく》哀惜の涙を禁《とど》めえぬそのひまには、おのずからこの無慚《むざん》な乱れを統《す》べる底の力が見きわめたい、せめて命のある間にその見知らぬ力の実相をこの眼で見たい、その力のはたらきから新しい美のいのちを汲《く》みとりたい……このような大それた身の程しらずの野心も、むくむくと頭をもたげて参ります。一身の浮き沈みを放下《ほうか》して、そのような眼《まなこ》であらためて世の様を眺めわたしますと、何かこう暗い塗籠《ぬりごめ》から表へ出た時のように眼《まなこ》が冴《さ》え冴《ざ》えとして、あの建武《けんむ》の昔二条河原の落書《らくしょ》とやらに申す下尅上《げこくじょう》する成出者《なりでもの》の姿も、その心根の賤《いや》しさをもって一概に見どころなき者と貶《おと》しめなみする心持にもなれなくなります。今までは只《ただ》おぞましい怖《おそろ》しいとのみ思っておりました足軽《あしがる》衆の乱波《らっぱ》も、土一揆《つちいっき》衆の乱妨も檀林巨刹《だんりんきょさつ》の炎上も、おのずと別の眼《まなこ》で眺めるようになって参ります。まことに吾《われ》ながら呆《あき》れるような心の移り変りでございました。……
 その間にも戦さの成行きは日に細川方が振わず、勢《いきおい》を得た山名《やまな》方は九月|朔日《ついたち》ついに土御門万里《つちみかどまで》の小路の三宝院に火をかけて、ここの陣所を奪いとり、愈々《いよいよ》戦火は内裏《だいり》にも室町殿にも及ぼう勢となりました。その十三日には浄華院の戦さ、守る京極《きょうごく》勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛《このえ》殿より鷹司《たかつかさ》殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺《さいおんじ》殿、転法輪《てんぽうりん》、三条殿をはじめ、公家《くげ》のお屋敷三十七、武家には奉行《ぶぎょう》衆のお舎《やど》八十ヶ所が一片の烟《けむり》と焼けのぼりました。最早やこうなりましては、次の火に桃花坊の炎上は逃れぬところでございます。お屋敷の方はともあれかし、この世の乱れの収まったのち、たとえ天下はどのように変ろうとも、かならず学問の飢《かつ》えが来る、古《いにし》えの鏡をたずねる時がかならず来る。あのお文倉《ふみぐら》だけは、この身は八つ裂きになろうとも守り通さずには措《お》かぬと、わたくしは愈々覚悟をさだめ、水を打ったようなしいんとした諦《あきら》めのなかで、深く思いきったことでございました。さりながら、思えば人間の心当てほど儚《はかな》いものもございません。わたくしがそのように念じ抜きました桃華文庫も、まったく思いもかけぬ事故《ことゆえ》から烏有《うゆう》に帰したのでございます。……


 貞阿はほっと口をつぐんだ。流石《さすが》に疲れが出たのであろう、傍《かたわ》らの冷えた大|湯呑《ゆのみ》をとり上げると、その七八分目まで一思いに煽《あお》って、そのまま座を立った。風はいつの間にかやんでいる。厠《かわや》の縁に立って眺めると、雪もやがて霽《は》れるとみえ、中空には仄《ほの》かな光さえ射している。ああ静かだと貞阿は思う。今しがたまで自分の語り耽《ふけ》っていた修羅黒縄《しゅらこくじょう》の世界と、この薄ら氷《ひ》のようにすき透った光の世界との間には、どういう関わりがあるのかと思ってみる。これは修羅の世を抜けいでて寂光の土にいたるという何ものかの秘《ひそ》やかな啓《あか》しなのでもあろうか。それでは自分も一応は浄火の界《さかい》を過ぎて、いま凉道蓮台の門《かど》さきまで辿《たど》りついたとでも云うのか。いや何のそのような生易《なまやさ》しいことが、と貞阿はわれとわが心を叱《しか》る。京の滅びなど此《こ》の眼で見て来たことは、恐らくはこの度の大転変の現われの九牛《きゅうぎゅう》の一毛にしか過ぎまい。兵乱はようやく京を離れて、分国諸領に波及しようとする兆《きざ》しが見える。この先十年あるいは二十年百年、旧《ふる》いものの崩れきるまで新しいものの生れきるまでは、この動乱は瞬時もやまずに続くであろう。人間のたかが一世や二世で見きわめのつくような事ではあるまい。してみればいま眼前のこの静寂は、仮の宿りにほかならぬ。今宵《こよい》の雪の宿りもまた、所詮《しょせん》はわが一生の間にたまさかに恵まれる仮の宿りに過ぎないのだ。……貞阿はそう思い定めると、暫《しばら》くじっと瞑目《めいもく》した。雪が早くも解けるのであろう、どこかで樋《ひ》をつたう水の音がする。……
 やがて座に戻った連歌師《れんがし》は、玄|浴主《よくす》の新たに温めてすすめる心づくしの酒に唇をうるおしながら、物語の先をつづけた。

 それは九月の十九日でございました。明け方から凄《すさ》まじい南の風が吹き荒れておりましたが、その朝の巳《み》の刻なかばに、お屋敷のすぐ南、武者の小路の上《かみ》の方に火の手があがったのでございます。つづいてその下《しも》にも上《かみ》にも二つ三つと炎があがります。火の手は忽《たちま》ちに土御門の大路を越えて、あっと申す間もなく正親町《おおぎまち》を甞《な》めつくし、桃花坊は寝殿《しんでん》といわずお庭先といわず、黒煙りに包まれてしまいました。折からの強風にかてて加えて、火勢の呼び起すつむじ風もすさまじいことで、御泉水あたりの巨樹大木も一様にさながら箒《ほうき》を振るように鳴りざわめき、その中を燃えさかったままの棟木《むなぎ》の端や生木《なまき》の大枝が、雨あられと落ちかかって参ります。やがて寝殿の檜皮葺《ひわだぶ》きのお屋根が、赤黒い火焔《かえん》をあげはじめます。お軒先《のきさき》をめぐって火の蛇《へび》がのたうち廻ると見るひまに、囂《ごう》と音をたてて蔀《しとみ》が五六間ばかりも一ときに吹き上げられ、御殿の中からは猛火《みょうか》の大柱が横ざまに吐き出されます。それでもう最後でございます。わたくしは、居残っております十人ほどの青侍《あおさぶらい》や仕丁の者らと、兼ねてより打合せてありました御泉水の北ほとりに集まり、その北に離れておりますお文倉《ふみぐら》をそびらに庇《かば》うように身構えながら、程なく寝殿やお対屋《たいのや》の崩れ落ちる有様を、あれよあれよとただ打ち守るばかり。さあ、寝殿の焼け落ちましたのは、やがて午《うま》の一つ頃でもございましたろうか、もうその時分には火の手は一条大路を北へ越して、今出川の方《かた》もまた西の方《かた》小川《こかわ》のあたりも、一面の火の海になっておりました。
 その中を、どこをどう廻って来られたものか、松王さまは学僧衆三四人と連れ立たれて走せつけて下さいました。わたくしは忝《かたじ》けなさと心づよさに、お手をじっと握りしめた儘《まま》、しばしは物も申せなかったことでございました。お文倉にも火の粉《こ》や余燼《もえさし》が落下いたしましたが、それは難なく消しとめ、やがて薄らぎそめた余煙の中で、松王さまもわたくしどもも御文庫の無事を喜び合ったことでございます。松王さまは小半時ほど、焼跡の検分などをお手伝い下さいましたが、もはや大事《だいじ》もあるまいとの事で、間もなく引揚げておいでになりました。
 その未《ひつじ》の刻もおっつけ終る頃でございましたろうか。わたくしどもは、兼ねて用意の糒《ほしひ》などで腹をこしらえ、お文庫の残った上はその壁にせめて小屋なりと差掛け、警固いたさねばなりませんので、寄り寄りその手筈《てはず》を調えておりました所、表の御門から雑兵《ぞうひょう》およそ三四十人ばかり、どっとばかり押し入って参ったのでございます。その暫《しばら》く前に二三人の足軽《あしがる》らしい者が、お庭先へ入っては参りましたが、青侍《あおさぶらい》の制止におとなしく引き退《さが》りましたので、そのまま気にも留めずにいたのでございます。その同勢三四十人の形《なり》の凄《すさ》まじさと申したら、悪鬼羅刹《あっきらせつ》とはこのことでございましょうか、裸身の上に申訳ばかりの胴丸《どうまる》、臑当《すねあて》を着けた者は半数もありますことか、その余の者は思い思いの半裸のすがた、抜身《ぬきみ》の大刀《たち》を肩にした数人の者を先登に、あとは一抱えもあろうかと思われるばかりの檜《ひのき》の丸太を四五人して舁《かつ》いで参る者もあり、空手《からて》で踊りつつ来る者もあり、あっと申す暇もなくわたくしどもは、お文倉《ふみぐら》との間を隔てられてしまったのでございます。刀の鞘《さや》を払って走せ向った血気の青侍二三名は、忽《たちま》ちその大丸太の一薙《ひとな》ぎに遇い、脳漿《のうしょう》散乱して仆《たお》れ伏します。その間にもはや別の丸太を引っ背負って、南面の大扉にえいおうの掛声《かけごえ》も猛に打ち当っておる者もございます。これは到底ちからで歯向っても甲斐《かい》はあるまい、この倉の中味を説き聴かせ、宥《なだ》めて帰すほかはあるまいとわたくしは心づきまして、一手の者の背後に離れてお築山《つきやま》のほとりにおりました大将株とも見える髯《ひげ》男の傍へ歩み寄りますと、口を開く間もあらばこそ忽《たちま》ちばらばらと駈《か》け寄った数人の者に軽々と担ぎ上げられ、そのまま築山の谷へ投げ込まれたなり、気を失ってしまったのでございます。足が地を離れます瞬間に、何者かが顔をすり寄せたのでございましょう、むかつくような酒気が鼻をついたのを覚えているだけでございます。……
 やがて夕暮の涼気にふと気がつきますと、はやあたりは薄暗くなっております。風は先刻よりは余程ないで来た様子ながら、まだひょうひょうと中空に鳴っております。倒れるときお庭石にでも打ちつけたものか、脳天がずきりずきりと痛《や》んでおります。わたくしはその谷間をようよう這《は》い上りますと、ああ今おもい出しても総身《そうみ》が粟《あわ》だつことでございます。あの宏大もないお庭先一めんに、書籍冊巻の或いは引きちぎれ、或いは綴《つづ》りをはなれた大小の白い紙片が、折りからの薄闇のなかに数しれず怪しげに立ち迷っているではございませんか。そこここに散乱したお文櫃《ふみびつ》の中から、白蛇のようにうねり出ている経巻《きょうかん》の類《たぐ》いも見えます。それもやがて吹き巻く風にちぎられて、行方も知らず鼠《ねずみ》色の中空へ立ち昇って参ります。寝殿《しんでん》のお焼跡のそこここにまだめらめらと炎の舌を上げているのは、そのあたりへ飛び散った書冊が新たな薪《たきぎ》となったものでもございましょう。燃えながらに宙へ吹き上げられて、お築地《ついじ》の彼方《かなた》へ舞ってゆく紙帖もございます。わたくしはもうそのまま身動きもできず、この世の人の心地もいたさず、その炎と白と鼠いろの妖《あや》しい地獄絵巻から、いつまでもじいっと瞳を放てずにいたのでございます。口おしいことながら今こうしてお話し申しても、口|不調法《ぶちょうほう》のわたくしには、あの怖ろしさ、あの不気味さの万分の一もお伝えすることが出来ませぬ。あの有様は未だにこの眼の底に焼きついております。いいえ、一生涯この眼から消え失せる期《ご》のあろうことではございますまい。
 ようやくに気をとり直してお文倉《ふみぐら》に入ってみますと、さしもうず高く積まれてありましたお文櫃《ふ
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