が、傍《かたわ》らにきちんと膝《ひざ》を正されて、易だの朱子だのと申すむずかしいお話に耳を澄ましておられるお姿を、わたくしどももよく垣間見《かいまみ》にお見かけしたものでございました。
この松王様のことは、くだくだしく申上げるまでもなく、かねてお聞及びもございましょう。右兵衛佐《うひょうえのすけ》殿(斯波義敏《しばよしとし》)の御曹子《おんぞうし》で、そののち長禄の三年に、義政公の御輔導役|伊勢《いせ》殿(貞親《さだちか》)の、奥方の縁故に惹《ひ》かされての邪曲《よこしま》なお計らいが因《もと》で父君が廃黜《はいちゅつ》[#ルビの「はいちゅつ」は底本では「はいちゅう」]の憂《う》き目にお遇いなされた折り、一時は武衛《ぶえい》家の家督を嗣《つ》がれた方でございます。それも長くは続きませず、二年あまりにて同じ伊勢殿のお指金《さしがね》でむざんにも家督を追われ、つむりを円《まる》められて、人もあろうにあの蔭凉軒《おんりょうけん》の真蘂西堂《しんずいせいどう》のもとに、お弟子に入られたのでございました。このお痛わしいお弟子入りについては、色々とこみ入った事情もございますが、掻撮《かいつま》ん
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