廻りはもどかしい程に遅く感ぜられます。そのうちに食堂《じきどう》、つづいて講堂も焼け落ちたらしく、火の手が次第に仏殿に迫って参ります頃には、そこらにちらほら雑兵《ぞうひょう》どもの姿も赤黒く照らし出されて参ります。どうやら西方の大内《おおうち》勢らしく、聞き馴《な》れぬ言葉|訛《なま》りが耳につきます。そのような細かしい事にまで気がつくようになりましたのも、度重なる兵火をくぐって参りました功徳《くどく》でもございましょうか。やがて仏殿にも廻廊づたいにとうとう燃え移ります。それとともに、大して広からぬ境内《けいだい》のことゆえ、鐘楼《しゅろう》も浴室も、南|麓《ろく》の寿光院も、一ときに明るく照らし出されます。こちら側の経蔵もやはり同じことであったのでございましょう、松明《たいまつ》を振りかざした四五人の雑兵《ぞうひょう》が一散に馳《は》せ寄って参りました。その出会いがしらに、思いもかけぬ経蔵の裏の闇から、僧形《そうぎょう》の人の姿が現われて、妙に鷹揚《おうよう》な太刀《たち》づかいで先登の者を斬《き》って棄《す》てました。その横顔を、ああ松王様だとわたくしが見てとりましたとき、こちらを
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