の気魄《きはく》など薬にしたくもない。俺は夢厳和尚の痛罵《つうば》を思いだす。『五山ノ称ハ古《いにしえ》ニ無クシテ今ニアリ。今ニアルハ何ゾ、寺ヲ貴《とうと》ンデ人ヲ貴バザルナリ。古ニ無キハ何ゾ、人ヲ貴ンデ寺ヲ貴バザルナリ。』またこうも言われた。『法隆|将《まさ》ニ季ナラントシ、妄庸ノ徒声利ニ垂涎《すいぜん》シ、粉焉沓然、風ヲ成シ俗ヲ成ス。』人は惜しむらくは罵詈《ばり》にすぎぬという。しかし克《よ》く罵言をなす者すら五山八千の衆徒の中に一人もないではないか。いや一人はいる。宗純《そうじゅん》和尚(一休)がそれだ。あの人の風狂には、何か胸にわだかまっているものが迸出《ほうしゅつ》を求めて身悶《みもだ》えしているといった趣《おもむき》がある。気の毒な老人だ。だがその一面、狂詩にしろ奇行にしろ、どうもその陰に韜晦《とうかい》する傾きのあるのは見逃せない。俺にはとてもついて行けない。……
「そこで山外の仏法はどうか。これは俺の知らぬ世界だから余り当てにはならぬが、どうやら人物がいるらしい。『祖師の言句をなみし経教《きょうぎょう》をなみする破木杓、脱底|桶《つう》のともがら』を言葉するどく破せられ
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