か。そこここに散乱したお文櫃《ふみびつ》の中から、白蛇のようにうねり出ている経巻《きょうかん》の類《たぐ》いも見えます。それもやがて吹き巻く風にちぎられて、行方も知らず鼠《ねずみ》色の中空へ立ち昇って参ります。寝殿《しんでん》のお焼跡のそこここにまだめらめらと炎の舌を上げているのは、そのあたりへ飛び散った書冊が新たな薪《たきぎ》となったものでもございましょう。燃えながらに宙へ吹き上げられて、お築地《ついじ》の彼方《かなた》へ舞ってゆく紙帖もございます。わたくしはもうそのまま身動きもできず、この世の人の心地もいたさず、その炎と白と鼠いろの妖《あや》しい地獄絵巻から、いつまでもじいっと瞳を放てずにいたのでございます。口おしいことながら今こうしてお話し申しても、口|不調法《ぶちょうほう》のわたくしには、あの怖ろしさ、あの不気味さの万分の一もお伝えすることが出来ませぬ。あの有様は未だにこの眼の底に焼きついております。いいえ、一生涯この眼から消え失せる期《ご》のあろうことではございますまい。
 ようやくに気をとり直してお文倉《ふみぐら》に入ってみますと、さしもうず高く積まれてありましたお文櫃《ふ
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