ら》わたくしにお申含めになったについては、少々訳がらもございます。それは太閤さまが心血をそそがれました新玉集《しんぎょくしゅう》と申す連歌《れんが》の撰集《せんしゅう》二十巻が、このお文倉に納めてありまして、わたくしもその御纂輯《ごさんしゅう》の折ふしには、お紙折りの手伝いなどさせて頂いたものでございます。ゆくゆくは奏覧にも供え、また二条摂政さま(良基《よしもと》)の莵玖波《つくば》集の後を承《う》けて勅撰《ちょくせん》の御沙汰《ごさた》も拝したいものと私《ひそ》かに思定《おもいさだ》めておいでの模様で、いたくこの集のことをお心に掛けてございました。尤《もっと》もこれは、なまじえせ連歌など弄《もてあそ》ぶわたくしの思い過しもございましょう。お文倉には和漢の稀籍群書およそ七百余合、巻かずにして三万五千余巻が納めてありましたとのことで、中には月輪《つきのわ》殿(九条|兼実《かねざね》)の玉葉《ぎょくよう》八合、光明峯寺殿(同|道家《みちいえ》)の玉蘂《ぎょくずい》七合などをはじめ、お家|累代《るいだい》の御記録の類も数少いことではございませんでした。
そうこう致すうち一月の末には、太閤は宇治の随心院へ奥方様とお二人で御座を移されました。御老体のほどを気づかわれたお子様がたのお勧めに従われたものでございましょう。さあそうなりますと、身に余る大役をお請けした上に、大樹とも頼む太閤はおいでにならず、東の御方様はじめお若い方々のみ残られました桃花坊で、わたくしは茫然《ぼうぜん》と致してしまいました。見渡すところ青侍の中には腕の立ちそうな者はおりませず、夜ふけて風の吹き募ります折りなどは、今にも兵《つわもの》どもの矢たけびが聞えて来はしまいか、どこぞの空が兵火に焼けていはしまいかと落々《おちおち》瞼《まぶた》を合わす暇さえなく、蔀《しとみ》をもたげては闇夜の空をふり仰ぎふり仰ぎ夜を明かしたものでございました。
さいわい五月の末ごろまでは何事もなく過ぎました。とは申せ安からぬ物の気配は日一日と濃くなるばかり。東西両陣の合戦の用意が日ごとに進んで参る有様が手にとるように窺《うかが》われます。その中を、わたくしにとって只《ただ》一つの心頼みは、あの松王丸様なのでございました。いやそうではございません。すでに御家督をおすべりになって、蔭凉軒にて御祝髪ののちの、見違えるような素円《そえ
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