ブィトコは何しろ自分が作り話の大家で、従って誰の話も信用しない男だものだから、疑わしそうに彼の顔を見て、にやりと笑った。メルズリャコーフは眉をぴくぴくさせると、相変らず『ヨーロッパ通報』から眼を離さずに、穏かにこう言った。――
「おかしな話だなあ!……声もかけずにいきなり首っ玉へかじりつくなんて。……てっきりそりゃあ何か精神病だぜ。」
「うん、てっきり精神病だね……」と、リャボーヴィチが同意した。
「そういや、それと同じ事件がいつか僕にもあったっけ……」とロブィトコは、眼をまるくして見せながら言った。「去年コヴノへ行った時の汽車の中の話だがね。……切符は二等にしたのさ。……車室《はこ》は大入り満員の盛況でね、眠ることなど思いも寄らん。そこで車掌に五十コペイカ玉をつかませた。……すると奴さん、僕の荷物を抱えてね、特別室《クペー》へ案内してくれたんだ。……で横になってね、すっぽり毛布にくるまった。……暗いんだよ、いいかい。すると不意に人の気配がして、誰かしら僕の肩先にさわってね、顔へ熱い息を吹きかけるんだ。僕はそこでこういう工合に片手を動かしてみると、誰かの肘にさわったじゃないか。……はっ
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