音も立てずに真直《まっすぐ》に産児院の方へと歩いて行く。彼女の横顔は尼僧の様に冷たい線を有《も》つてゐる。彼女は静かにノッブを廻して室内にあらはれる。可愛《かわい》らしい寝台の上には初生児たちがガーゼに包まれて一つづつ置いてある。女は腰をかがめて一つ一つを覗《のぞ》いてまはる。此《こ》の室《へや》の空気には生物学の標本室の匂《におい》がする。初生児は皮膚で呼吸する動物のやうにまるで音を立てない。看護婦は再びノッブを廻して次の室へとあらはれる。かすかに揺れ動いた風の気配に、壁にもたれて睡《やす》んでゐた若い保姆《ほぼ》の一人が眼をさまして立ち上る。二人の女は眼を見合はせ、さてさも物珍らしげに室内を見廻す。此の室の寝台は檻《おり》を思はせる。もう立ち上ることの出来る幼児たちが保姆を「あまり」妨げないために寝台は四囲に二尺ばかりの鉄柵を有つてゐるのである。幼児|等《ら》は昼間でもその檻から出ない。看護婦は第一の寝台に近づく。そのとき四番目の寝台から男の児《こ》が小さな幽霊のやうに起きあがる。彼はよろめきながら、昼間ぢゆうつかまり続けた鉄柵につかまつて立つてゐる。その眼は何も見てゐない。二人の
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