ちはもう二六時ちゅう裁判所に詰めきりという始末、この分じゃちょっとクリスマスまでに片づく見込みも立たず、したがって僕は家へはただ飯を食って一寝入りするために帰るだけ、日中と夜の一部分とは|法律の女神《テミス》の祭壇の前ですごすといった体たらくだったのさ。
 その一方、家の方では、事はどしどし運んでいてね、いよいよクリスマス・イーヴというその夕方に、やっとこさで法廷の仕事から解放されて、ほっとして僕が帰宅してみると、待ってましたとばかりいきなりもう、豪勢なバスケットを眼の前へ突きつけられて、さあ一つ検分して頂戴という註文なんだ。そのバスケットには、弟のやつがマーシェンカへ贈物にする高価な品々が詰まっているのさ。
「こりゃあ一体なんだい?」
「花聟さんから花嫁さんへのプレゼントですわ」と、家内が説明する。
「うへっ! もうそこまで来たのかい! いやお目出とう。」
「勿論《もち》よ! 弟さんは、もう一ぺんあんたと相談した上でなくちゃ、正式の申込をするのはいやだと言うんですけど、とにかくああして婚礼をいそいでらっしゃるでしょう。ところがあなたといったら、まるでわざと意地わるをしているみたいに、あの厭らしい裁判所に入りびたりなんですもの。とても待っちゃいられなくなって、婚約をとりかわしてしまったのよ。」
「一段と結構じゃないか」と僕、「ぼくを待つことなんかありゃしないさ。」
「あなた、それは皮肉ですの?」
「皮肉だなんて、とんでもない。」
「それとも、当てこすりですの?」
「いいや、当てこすりもしやせんよ。」
「どっちにしたって無駄骨ですわよ。だって、いくらあなたがギャアギャア仰しゃったところで、あの二人とても幸福な御夫婦になるにきまってますもの。」
「無論さね」と僕、――「君が太鼓判をおす以上、そうなるにきまってるさ。……諺にもあるじゃないか、『思案あまって貧乏くじ』ってね。選り分けるなんてことは、もともと出来ない相談なのさ。」
「まあまあ」と家内は、プレゼントの籠の蓋をおろしながら、――「あなたったら、わたくしども女を選り分けるのは、さもあなたがた男の特権みたいに思ってらっしゃるのね。ところが本当は、そんなこと愚にもつかない空中楼閣なんですわ。」
「へえ、どうして空中楼閣なんだい? 願わくは、娘さんの方で婿えらびをするのじゃなしに、婿さんの方から娘さんに求婚するのでありたいものだよ。」
「そりゃ、なるほど求婚はしますわ、――けれど、念入りに選り分けるとか慎重に選り分けるなんていうことは、とてもあり得ないことですわ。」
 僕はかぶりを振って、こう言った。――
「もう少し、自分の言ってることを、検討して見ちゃどうかね。例えば僕はこうして、君というものを選んだじゃないか、――それというのも、君を尊敬し、君の長所を見抜いたからじゃないか。」
「嘘ばっかり。」
「嘘だって?」
「嘘ですとも、――だって、あなたがこのわたしを選んだのは、決して長所を見ぬいたためなんかじゃないんですもの。」
「じゃ、なんだというんだい?」
「わたしのことを、ちょいといい女だ、と思っただけのことだわ。」
「いやはや、君はじぶんには長所なんかないとでも言うのかい!」
「とんでもない、長所ならちゃんとあります。でもあなたは、わたしのことをいい女だとお思いにならなかったら、やっぱり結婚はなさらなかったでしょうよ。」
 僕は、なるほどこれは一本参ったと思ったね。
「そうは言うけどね」と、僕は陣容を立てなおして、――「僕はまる一年も待って、君の家へかよったじゃないか。どうして僕がそんな真似をしたと思うかね?」
「わたしの顔が見たかったからよ。」
「ちがう、――僕は君の性格を研究していたんだ。」
 家内は、ほゝゝゝと笑いだした。
「そら笑いはよしてくれ!」
「そら笑いなんかじゃなくてよ。そんなこと仰しゃったって、結局なに一つわたしの研究なんかなさらなかったのよ。それに第一、お出来になるはずもなかったのよ。」
「どうしてだい?」
「言ってもよくって?」
「ああ頼む、言ってくれ!」
「それはね、あなたがわたしに恋しちまったからよ。」
「まあ、それもよかろう。だがそれが僕にとって、君の精神的な性質を見るうえの妨げになったわけでもあるまい。」
「なったわ。」
「いいや、ならん。」
「なったわ。しかも誰にだって妨げになるものなのよ。だから、いくら長いことかかって研究したところで、なんの役にも立ちゃしないのよ。あなたは、相手の女に恋していながら、しかもその女を批判的に見てらっしゃる[#「その女を批判的に見てらっしゃる」に傍点]おつもりだけれど、実は空想的にぼんやり眺めてらっしゃる[#「空想的にぼんやり眺めてらっしゃる」に傍点]に過ぎないのよ。」
「ふうむ……だがなあ」と僕、――「どうも君は、なんだかその……ひどく現実的だなあ。」
 そのじつ内心では、なるほどその通りだ! と思ったね。
 家内はことばをつづけて、――
「思案はもう沢山だわ、――とにかく幸先《さいさき》はいいんだから、さあ早く服を着かえて、一緒にマーシェンカのところへ行きましょうよ。わたしたち、今日はあの家でクリスマスを迎えることになっているのよ。それにあなたも、あの子や弟さんに、お目出とうを言わなくちゃいけないわ。」
「恐悦至極」と僕は言って、一緒に出かけた。

      ※[#ローマ数字4、1−13−24]

 先方に着くと、まず贈物の捧呈式があり、ついで祝詞の言上があり、それからわれわれ一同は、シャンパーニュ州の妙なる美酒にいいかげん酩酊した。
 もはや斯くなる上は、思案も相談も諫止《とめだて》も、いっさい手おくれだ。残されたことはただ一つ、婚約の二人の行手に待っている幸福にたいする信念を、一同の胸中に守《も》り立てて、シャンパンを飲むだけである。まあそんなあんばいで、あるいは僕の家で、あるいは花嫁の実家で、日は夜につぎ、夜は日についだというわけだった。
 そうした気分でいると、時の長さを覚えるなんてことはまずあるまいね?
 全くあっと思うまもあらばこそ、たちまちもう大晦日が来ていた。よろこびを待ちもうける気分は、ますます濃くなってくる。世間の人は誰もかれも、よろこびごとを祈念して胸をわくつかせているが、もとより僕たちも敢えて人後に落ちなかった。僕たちは又もやマーシェンカの実家で新年を迎えたが、それこそわれらが先祖の言葉じゃないが『たらふくたべ酔うた』もので、まさに『飲む楽しみはロシヤならでは』という先祖の名言を、みごと実証してのけた次第だった。そのなかで、ただ一つだけ芳ばしくないことがあった。というのは他でもない、――マーシェンカの親父さんは、相変らず持参金のことはおくびにも出さずにいたが、その代り娘に、奇妙きてれつな贈物をしたのだ。いや、奇妙なばかりじゃなくて、後になって僕にも分ったことだが、それは全く許すべからざる、縁起のわるい贈物だったのだ。彼は夜食の最中に、一同の眼のまえで、手ずから娘のくびに、立派な真珠の首飾りをかけてやったのだよ。……われわれ男連中は、その品物を一瞥して、むしろ『こいつは素晴らしいわい』と思ったものだった。
「ほほう、――あれは一体どのくらいの値打ちのものかな? 何しろあれほどの品であるからには、名門出の富豪連中がまだ質屋へものを曲げにやるまでにならず、何かひどく金のいるような時には、むしろこのマーシェンカの親父さんみたいな内密の高利貸の手に、財産を委託する方を快しとした、そんなふうの天下泰平な大むかしから、秘蔵されているものらしいな」と、まあそんなことを考えた次第なのさ。
 その真珠は大粒で、ふっくらと円みがあって、ひどく冴え冴えした色気のものだった。のみならず首飾りの作りは、いかにも昔風の好みで、いわゆるルフィール型とか瓔珞《ようらく》型とか呼ばれるあれだった。――つまり背後のところは、小粒ながら一ばんまん円なカーフィム真珠でもって始まって、だんだん大粒になるブルミート真珠がそれにつづき、やがて下へ垂れるあたりになると大豆ほどの粒がつらなって、最後のまん中の部分には三粒のびっくりするほど大きな黒真珠が、群を抜いて美しい光耀《かがよい》をはなっている、という仕組みなのだった。この見事でもあり高価でもある贈物の前に出ては、うちの弟のプレゼントなんかは月夜の星も同然、すっかり気おされてしまった。手みじかに言ってしまえば、われわれむくつけき男連中は、一人のこらずマーシェンカの親父さんの贈物を素晴らしいと思い、おまけにその首飾りを渡すにあたって老人の述べたことばまでが、気に入ったという始末だった。つまりマーシェンカの親父さんは、その重宝《じゅうほう》を娘にかけてやってから、こう言って聞かせたのだ、――『さあ娘や、これをお前に上げる。ついでに呪文を附けておこうね、――この品は錆も朽ちさすことなく、ぬすびとも奪うことなく、まんいち奪うたとしても、かならず業報あり。これは、とこしなえじゃ』とね。
 ところが婦人れんになると、何につけてもめいめい小うるさい一家言をもちだすものだし、当のマーシェンカなどは、首飾りをもらってから、さめざめと泣きだしたものだった。僕の家内にいたってはなんとしても腹の虫を抑えかねて、うまい機会をつかむと、早速ニコライ・イヴァーノヴィチを窓のところへ引っぱって行って、文句を並べ立てさえしたものだ。相手はまあ親類のよしみで、おしまいまで我慢して拝聴していたがね。なぜ真珠を贈物にして文句を言われたかというと、つまり真珠というものはなみだ[#「なみだ」に傍点]の象徴でもあり前兆でもあるというのだ。だから真珠は決して新年の贈物には使われないというのだ。
 ところが相手もさるもの、ニコライ・イヴァーノヴィチは、まんまと冗談で言いまぎらしてしまったのさ。
「いやそれは」と奴さんは言うんだ、――「まず第一に、単なる迷信にすぎんですわい。もし誰か奇特な仁があって、ユスーポフ公の奥方がゴルグーブスからお買上げになった真珠の一粒を、このわしに贈物にしようと言われるなら、わしは即座に頂戴しますわ。このわしも、な奥さん、やっぱり昔は一通りそんな縁起をかつぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したものでしてな、贈物には何が禁物かぐらいは、ちゃんと心得ておりますよ。娘さんがたに贈ってならんのは、あのトルコ玉ですて。というわけは、ペルシヤ人の考えで行くと、トルコ玉というものは恋患いで死んだ人間の骨だそうですからなあ。また、奥さんがたに贈ってならんのは、キューピッドの矢のはいった紫水晶ですて。もっともわしは、そんな紫水晶をためしに贈物にしたことがありますが、奥さんがたは受納されましてな……」
 家内は思わずほほえんだ。相手はことばをつづけて、――
「そのうちあなたには、そんなのを一つ差上げるとしましょうて。さて真珠のことですが、一口に真珠といってもじつに千差万別でしてな、かならずしも真珠はどれもみんな、泣きの涙で採集されるものとは限りません。ペルシヤ真珠もあれば、紅海で採れるのもある。淡水《まみず》――すなわちオー・ドゥスで採れたのもあって、これなら採集に涙はいりません。あの多感なマリ・スチューアートは、スコットランドの川でとれたいわゆるペルル・ドー・ドゥスでなければ身につけなかったけれど、それがべつに幸運を運んで来てくれもしなかったですわい。わしは何を贈物にしたらよいかということを、ちゃんと心得ていて――そのよいものを娘に贈るのですが、あなたは騒ぎ立ててあの子を怖気づかせなさる。そのお礼に、キューピッドの矢のはいったのを差上げることは取りやめにして、代りにあの冷静な月光石を献ずることにしましょう。さ、娘や、もうお泣きでない。わしの今やった真珠が涙を運んでくるなどというつまらん考えは、頭から掃き出してしまうがいい。これはそんなのとは訳がちがう。お前の婚礼がすんで翌る日になったら、わしはお前にその真珠の秘密を明かすとしよう。その時になったらお前にも、迷信なんぞちっとも怖れることはないと、合
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