について行ってくれと仰しゃるんですの。そこでわたしが着替えをしていますと、そのひまに二人は(というのはつまり、弟のやつとその娘さんだがね――)お茶のテーブルで差向いになっていましたの。そのあとで弟さんは、『そら、あんな素晴らしい娘さんがいるじゃありませんか! この上なんのかんのと選り好みをすることがあるもんですか、――あの人を貰ってください!』って、そりゃもう大騒ぎなんですの。」
僕はこう返事をした、――
「さてさて、舎弟はいよいよ以て御乱心と決まったわい。」
「まあ、なぜですの」と、家内は逆襲してきた、――「なぜこれが『御乱心』にきまっていますの? 常ひごろ、あんなに尊重してらしたことを、なんだっていきなり手の裏を返すようなことを仰しゃるの?」
「僕が尊重してたって、そりゃ一体なんのことだい?」
「そろばん抜きの共鳴よ、心と心の触れ合いよ。」
「いやはや、おっ母さんや」と僕は言ったね、――「そうは問屋が卸さんぜ。それが良いも悪いも、時と場合によりけりだよ。その触れ合いというやつが、何かしらこうはっきりした意識、つまり魂や心のはっきり目に見えた長所美点といったものの認識――に基いているような場合なら、それももとより結構さ。だがこいつは、――一体なんのことかね……一目みたとたんにもう、一生涯の首かせが出来あがっちまうなんて。」
「そりゃまあそんなものだけど、じゃ一体あなたは、あのマーシェンカのどこが悪いと仰しゃるの?――あの子は現にあなたも仰しゃる通りの、頭のいい、気だての立派な、親切で実意のある娘さんじゃありませんか。それに、あの子の方でも、弟さんがすっかり気に入ってしまったのよ。」
「なんだって!」と僕は思わず絶叫したね、――「するとお前はもう、あの子の気持をまで、首尾よく確かめたというわけなのかい?」
「確かめたと言っちゃ、なんですけれど」と家内はちょっと言いよどんで、――「でも、見れば分るじゃないの? 愛というものは、憚りながらわたしたち女の領分ですわよ、――ちょっとした芽生えだっても、一目みりゃ一目瞭然ですわ。」
「いやはや君たち女というものは」と、僕は言ってやった、――「みんな実に卑劣きわまる仲人だなあ。誰かを一緒にしさえすりゃそれでいいんだ。その先がどうなろうと、――あとは野となれ山となれなんだ。自分の軽はずみからどんな結果になるか、ちっとは空恐ろしく思うがいいぜ。」
「だって、すこしも」と家内はすましたもので、――「空恐ろしいことなんかありませんわ。何しろわたしは、二人ともよく知っていますもの。弟さんはあの通り立派な紳士だし、マーシャはマーシャで、あの通り可愛いらしい娘ですしさ。おまけに二人は、ああしてお互いの幸福のため一生けんめい尽しますって約束した以上、きっと約束は守るにちがいないわ。」
「な、なんだって!」と、僕はわれを忘れて情けない声を立てた、――「あの二人は、もう約束までかわしたのかい?」
「ええ」と家内は答える、――「そりゃあ、まだ口に出してこそ言わなかったけど、そこは以心伝心というものよ。二人とも趣味も好尚もぴったり合ってるわ。だからわたし、今晩弟さんと一緒に先方へ出かけていって来ますわ。――弟さんはきっと老人夫婦の気に入るにちがいないし、その先は……」
「へえ、その先は?」
「その先は、二人でいいようにすればいいわ。ただね、余計な口を出さないで下さいよ。」
「いいとも」と僕はいう、――「いいとも。そんな馬鹿馬鹿しい問題に口を出さずにいられるのは、すこぶる有難い仕合わせだよ。」
「馬鹿げたことなんかになるもんですか。」
「それは結構。」
「とてもうまく行くにきまってるわ。幸福な夫婦ができあがってよ!」
「ありがたい仕合わせだな! ただしだね」と僕は言う、――「弟のやつもお前も、これだけは一応心得ておいても無駄じゃあるまいが、マーシェンカの親父さんは、世間に誰知らぬ人とてない金持の握り屋だぜ。」
「それがどうかしましたの? 残念ながらわたしも、その事だけは反対の余地はありませんけど、かといって別だんあのマーシェンカが、立派な娘さんでなくなるわけでも、立派な嫁さんになれなくなるわけでも、ないじゃありませんか。あなたは、きっと忘れておしまいになったのね、ほら、二度も三度もわたしたちが論じ合ったあの事を。ねえ、思いだしてごらんなさいな、――トゥルゲーネフの小説に出てくる立派な女たちは、選りに選ってみんな、すこぶる俗っぽい両親を持っているじゃありませんか。」
「いや、僕の言うのはそんな事じゃないんだ。いかにもマーシェンカは、実に立派な娘だよ。ところが考えてごらん、あの親父と来たら、上の二人の娘を嫁にやるとき、婿さんを二人とも一杯くわせて、びた一文つけてやらなかったんだぜ。――マーシャにだって、一文もよこさな
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