は決して新年の贈物には使われないというのだ。
ところが相手もさるもの、ニコライ・イヴァーノヴィチは、まんまと冗談で言いまぎらしてしまったのさ。
「いやそれは」と奴さんは言うんだ、――「まず第一に、単なる迷信にすぎんですわい。もし誰か奇特な仁があって、ユスーポフ公の奥方がゴルグーブスからお買上げになった真珠の一粒を、このわしに贈物にしようと言われるなら、わしは即座に頂戴しますわ。このわしも、な奥さん、やっぱり昔は一通りそんな縁起をかつぎ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したものでしてな、贈物には何が禁物かぐらいは、ちゃんと心得ておりますよ。娘さんがたに贈ってならんのは、あのトルコ玉ですて。というわけは、ペルシヤ人の考えで行くと、トルコ玉というものは恋患いで死んだ人間の骨だそうですからなあ。また、奥さんがたに贈ってならんのは、キューピッドの矢のはいった紫水晶ですて。もっともわしは、そんな紫水晶をためしに贈物にしたことがありますが、奥さんがたは受納されましてな……」
家内は思わずほほえんだ。相手はことばをつづけて、――
「そのうちあなたには、そんなのを一つ差上げるとしましょうて。さて真珠のことですが、一口に真珠といってもじつに千差万別でしてな、かならずしも真珠はどれもみんな、泣きの涙で採集されるものとは限りません。ペルシヤ真珠もあれば、紅海で採れるのもある。淡水《まみず》――すなわちオー・ドゥスで採れたのもあって、これなら採集に涙はいりません。あの多感なマリ・スチューアートは、スコットランドの川でとれたいわゆるペルル・ドー・ドゥスでなければ身につけなかったけれど、それがべつに幸運を運んで来てくれもしなかったですわい。わしは何を贈物にしたらよいかということを、ちゃんと心得ていて――そのよいものを娘に贈るのですが、あなたは騒ぎ立ててあの子を怖気づかせなさる。そのお礼に、キューピッドの矢のはいったのを差上げることは取りやめにして、代りにあの冷静な月光石を献ずることにしましょう。さ、娘や、もうお泣きでない。わしの今やった真珠が涙を運んでくるなどというつまらん考えは、頭から掃き出してしまうがいい。これはそんなのとは訳がちがう。お前の婚礼がすんで翌る日になったら、わしはお前にその真珠の秘密を明かすとしよう。その時になったらお前にも、迷信なんぞちっとも怖れることはないと、合
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