へるでもなく、窓外へ眼をそらした。
 尤《もっと》もA氏の方でも、この令嬢を初めからじろじろ眺める非礼を敢《あえ》てしたわけではない。彼はだいぶん時代のついたボストン・バッグから、今朝事務所で受けとつた妻の便りや新聞や、また検収に必要な規格上の要項やさうしたものを取り出して読み耽《ふけ》つた。二時間ほどして、もうほかに読むものがなくなつたとき、思ひ出したやうにポケットの煙草《たばこ》へ手をやりながら、はじめて向ひ側の令嬢に注意したのである。
 彼女は相変らず窓外の景色に所在なささうな眸《ひとみ》を放つてゐる。A氏には彼女が、乗り込んだ時から身じろぎもせずにその退屈な姿勢をとりつづけてゐるもののやうに見える。うち見たところ教養も豊かに具《そな》へてゐるに違ひないこの令嬢が、雑誌一つ開くではなくぼんやりと窓外へ眼をやつてゐるのが、ひどく不思議なやうな気がした。いや、不思議といへばそれだけではない。よく見ると、西洋の鷹匠《たかじょう》のかぶるやうな黒い帽子で半ばかくされてゐるその額《ひたい》が、思ひなしか妙に蒼《あお》ざめて深い憂愁を湛《たた》へてゐるやうにさへ見えるのである。光線の具合かな
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