らを振り返つたやうな気がしました。それもやはり気のせゐだつたらしく、何ごとも起りませんでした。姉さまの姿は人波にかくれて、そのまま、見えなくなつてしまひました。……
………………………………………
かうして千恵は姉さまの姿を、はじめて近々と見たのです。それはほんの横顔にすぎず、いいえ寧《むし》ろ後姿とも云つていいほどでしたが、しかも二度までちらりと千恵の方を振り返つたやうな気がしたのは、一たいなぜでしたらうか? もちろん千恵の気のせゐに相違ありません。けれど、よしんば刹那《せつな》の錯覚だつたにせよ、その二度までも閃めいた蒼《あお》ざめた姉さまの顔には、何か言ひやうもないやうな或る表情がありました。その顔は白くやつれてゐました。五年前の姉さまには見られなかつた或るするどさ、或るとげとげしさがありました。それと同時に何かしら或る崇高さと、遠い遠いところを見つめるやうな視線の遠さがありました。そんなことを千恵は一どきに感じたのです。直覚とか霊感とかいふものだつたのかもしれません。髪のほつれが目につきました。それもこれもまんざら心の迷ひでなかつたことが、あとになつて段々たしかめられた
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