に合ふとか合はないとかそんな言ひがかりの古めかしさ馬鹿《ばか》らしさはまあそれとして、姉さま自身にだつて今になつて冷静に考へてみれば、やつぱり人間としてそれ相応の欠点はちやんと具《そな》へておいでなのでした。もつともこれは、実の姉いもうとと信じこんで永年一つ部屋に暮らしてゐた千恵が、今の身にひき比べてはじめて申せることなのですが。
 まあそんな罪のなすり合ひを今更はじめたところで仕方がありません。結局はだれにも悪意はなかつたのだらうと思ひます。ただ人間どうしの関係といふものは、こじれだしたが最後どうにも始末のわるいものだといふことの、ほんの一例みたいなものだつたのかも知れません。第一かんじんの潤吉兄さまを差しおいて、出すの出るのといがみ合ふなどといふことは、「家」といふものが曲りなりにも解消した今日の眼からは勿論《もちろん》のこと、当時の常識から考へても随分と妙なものに違ひありませんでした。とどのつまりが別居といふことになつて、そこでお母さま一流の気前のよさが始まりました。一々おぼえてもゐませんが、別荘や家作《かさく》が片つぱしからS家の名義に書き換へられたやうでした。そのほか土蔵のな
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