、千恵はうろうろ書きまどつてゐるのでせうか? 今はもう怖れもありません。それにお母さまの前ですもの、なんの遠慮もあらう道理はありません。ええ、さうです。姉さまは生きておいでです。確かに生きておいでです。この一月ほどのうちに、なんども千恵は姉さまをこの目で見ました。現に昨日も見ました。それはいかにも怖ろしい姿でしたが、だといつて何も、姉さまのお顔に戦災で引つ攣《つ》れができてゐるわけでも、片眼がつぶれておいでのわけでも、虱《しらみ》だらけの乞食《こじき》のなりをしておいでのわけでも、またはそれとあべこべに、敗戦後の東京で特に大はやりのれいの職業婦人めいた毒々しい身なりをしておいでだつたわけでもありません。黒つぽいスーツに濃い茶色のオーヴァをぴつちり召して、帽子はかぶらず、かなり踵《かかと》の高い靴をはいておいでです。それに、両脚をまつすぐ伸ばして、やや気ぜはしく小刻みにこつこつ歩くところも、昔の姉さまそのままです。思ひなしか少しばかり猫背におなりのやうですが、それでゐて身丈《みたけ》は昔より一層すらりと高く見受けられるのは、やはり幾ぶんお痩《や》せになつたせゐかも知れません。そんなふうな恰好《かっこう》で、いつも看護婦のFさん(これも姉さまに劣らず背の高い人なのです――)の肩にもたれかかるやうにして、さつさと歩いておいでの様子は、遠目にはまず堅気《かたぎ》な西洋婦人の二人連れとも見えて、行きずりの人目をひくやうなものは何一つありません。……さうした点を一つ一つかぞへあげて、それで人間の生き死にを判断してよいものなら、たしかに姉さまは立派に生きておいでなのです。……生きて歩いておいでなのです。
 ただどこかしら病気なだけなのです。これは連れのFさんが、その所属病院のきまりがあつて、濃紺の制服も、白い布のついた同じく濃紺の制帽も、けつして脱いだ例《ため》しのない人ですから、なんとしても疑ふわけにはいきません。千恵がはじめて姉さまの姿を見かけた時も、やはりそのままの二人連れでした。しかもその場所が聖アグネス病院の庭のなかでしたから、千恵はすぐさま、
「ああ、ご病気なのだ!」
 と気がつきました。ふらふらつと立ちあがつて、思はず追ひかけようとさへしました。嬉《うれ》しかつたのです。思へば危ないところでした。もし千恵の坐《すわ》つてゐた場所がもう二三|間《けん》も小径《こみち》
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