かつたのです。もとより一応は区役所へ行つて聞いてはみました。都庁の何とかいふ係りへも紹介状をもらつて行つてみました。けれど両方とも結局むだ足でした。なるほど近頃のお役所の人たちは、言葉づかひこそ少しは柔らかになつたやうですが、そのため却《かえ》つて中身の空つぽさや不親切さが露《あら》はになつて、見てゐる方ではらはらさせられるやうな気味があるやうです。民主化なんて大騒ぎをしてゐますが、つまるところは日本人にもう一つ別の狡《ず》るさを身につけさせるだけのことにならないものでもありません。お母さまのおいでの田舎《いなか》の方には、そんな現象は見えないでせうか?
それはとにかく、書類も焼け、なんの届けも出てゐないと言はれては、所詮《しょせん》のれんに腕押しです。一番ありさうなことは、姉さまも潤太郎さんも一緒に焼け死んでしまつたといふ想像でした。あの湯島のへんは火の廻りが早かつたせゐで、一家焼死の例が大そう多いとのことですから。……千恵はほとんどさう信じました。むしろ、さう信じたいと強く望んだ――と言つた方が当つてゐるかもしれません。これもやはり一種の狡るさなのかも知れません。もしさうでしたら、どうぞこの千恵をお気のすむまでお責めください。
幸ひ千恵は、頭もさう悪くないさうで、そのうへ医学にはぜひとも必要な或る沈着さが女には珍らしくあるとのことで、G先生には割合ひ信用のある方らしいのです。それで今度の学年のはじめから、夕方から夜にかけてG先生の自宅の方へ代用看護婦のやうな資格で住みこませていただくことができるやうになり、おかげでまたこの冬も、同級の誰かれがそろそろ気に病んでゐるやうなアルバイト苦労から一応たすかつてゐるのです。同級のかたがたの中には、洋裁店の外交や政党の封筒書きあたりならまだしものこと、キャバレーのダンサーだの絵かきのモデルだのをまで志願してゐる人があるのです。それどころか現に三人ばかり、平生《へいぜい》から半ば公然とお妾《めかけ》稼業をして学資にあててゐる人たちもあるくらゐです。でもみんな仲よく助け合つて毎日やつてをります。いづれ行き着く先はいろいろと違ひが出てくるのでせうが、まだ今のところはさつぱり分りません。ただその日その日があるだけです。
そんな生活をしてゐる千恵のことですから、当てどもなく姉さまの行方をさがすやうな時間のゆとりもなく、その伝手《
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