日くるのよ。きのうも今日も。あのガムシャラ屋さんは、また病気になって、工合がわるいの。……どうぞ赦《ゆる》してくれ、どうぞ帰って来てくれ、と言うんだけれど、考えてみればやっぱり、わたしパリへ行って、あの人のそばにいてやるのが本当なのね。あなたは、むずかしい顔をしてるけれど、ねえペーチャ、わたし、どうしようもないじゃないの! あの人は病気で、一人ぼっちで、辛い目にあってるというのに、誰があの人の世話をするの、誰があの人にケガのないようにお守《も》りをするの、誰が時間どおりに薬をのませるの? 今さら包みかくしたところでしようはないわ、わたしあの人を愛しています、そりゃ明白よ。愛している、愛してますとも。……それはわたしの頸《くび》に結えつけられた重石《おもし》で、その道づれになってわたしは、ぐんぐん沈んで行くけれど、やっぱりその重石が思いきれず、それがないじゃ生きて行けないの。(トロフィーモフの手を握る)悪く思わないでね、ペーチャ、わたしに何も言わないで、ね、言わないで……
トロフィーモフ (涙ごえで)率直に言わせてください、お願いです。あの男は、あなたからすっかり捲《ま》きあげたじゃないですか!
ラネーフスカヤ いや、いや、いや、それを言わないで……(両耳をふさぐ)
トロフィーモフ あいつは碌《ろく》でなしです、それを知らないのはあなただけだ! あいつはケチなやくざ野郎で、虫けらみたいな……
ラネーフスカヤ (ムッとするが、じっとこらえて)あなたは二十六か七のはずね。だのに、まるで中学の二年生みたい!
トロフィーモフ かまやしません!
ラネーフスカヤ もっと大人にならなけりゃ駄目よ。あなたの年になれば、恋をする人の気持ぐらい、わからなければね。そして自分も恋をしなくてはね……夢中になってね! (腹だたしげに)そうよ、そうですとも! あんただって、純潔なんかあるもんですか。ただ気どってるだけよ、滑稽《こっけい》な変り者よ、片輪よ……
トロフィーモフ (呆気《あっけ》にとられて)何を言うんだ、この人は!
ラネーフスカヤ 「恋愛を超越してる」ですって! 超越するどころか、あんたはうちのフィールスの言うように、この出来そこねえめ、ですよ。その年をして、恋人ひとりいないなんて! ……
トロフィーモフ (仰天して)こりゃ、ひどい! 何を言い出すんだ※[#疑問符感嘆符、1−8−77
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