|風情《ふぜい》にとついだものでな……

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アーニャがドアのところに現われる。
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ガーエフ 貴族でもない男と結婚した上に、行状も大いに宜《よろ》しかったとは言えないからな。あれは立派な女だ。気立てもいいし、親切だ。わたしは大好きなんだが、それにしたって、いくらヒイキ目に見たところで、やはり不身持ちなことだけは認めないわけには行かん。こいつは、ちょっとした身ぶり一つにも出ているよ。
ワーリャ (ひそひそ声で)アーニャがドアのところにいますよ。
ガーエフ なんだって? (間)おや、おかしい、何か右の眼《め》にはいった……よく見えないぞ。それで木曜にね、地方裁判所へ行ったら……

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アーニャはいってくる。
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ワーリャ どうして寝ないの、アーニャ?
アーニャ 寝られないの。だめなの。
ガーエフ 可愛い子。(アーニャの顔や手にキスする)わたしの子……(涙ごえで)お前は姪《めい》どころじゃない、わたしのエンジェルだ、わたしの一切だ。信じておくれ、わたしを、ほんとだよ……
アーニャ 信じてますわ、伯父さん。みんなあなたが好きで、尊敬しています……でもねえ、伯父さん、あなたは黙ってらっしゃらなけりゃいけないわ、ただじっと黙ってね。今しがたも、わたしのママのことを、なんて言ってらしたの? ご自分の妹じゃありませんか? なんだって、あんなことを仰《おっ》しゃるの?
ガーエフ なるほど、なるほど……(彼女の片手で自分の顔をおおう)まったく、厭《いや》になるよ! いやどうも、情けないこった! おまけに先刻《さっき》は、本棚《ほんだな》の前で演説をした……ばかばかしい! 済んでからやっと、ばかげていることがわかったんだ。
ワーリャ ほんとよ、伯父さん、黙ってらっしゃるに限るわ。黙っていれば、それでいいのよ。
アーニャ 黙ってらっしゃれば、ご自分だって気が休まるわ。
ガーエフ 黙るよ。(アーニャとワーリャの手にキスする)黙るよ。ただ、ちょっと大事な話があるんだ、木曜に地方裁判所へ行ったら、偶然、仲間が寄り合っちまってね、あれやこれやと四方山《よもやま》ばなしが出たなかで、どうやらその、手形で金を借りて、銀行の
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