いの?
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アーニャ、少しおくれてガーエフ、シャルロッタ登場。ガーエフは頭巾《ずきん》のついた暖かい外套《がいとう》を着ている。召使たちや馭者《ぎょしゃ》たちが集まる。エピホードフは荷物の世話をやく。
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ラネーフスカヤ さあ、もうこれで発てるわ。
アーニャ (嬉《うれ》しそうに)出発だわ!
ガーエフ 親愛なる諸君、敬愛おくあたわざる友人諸君! いま永遠にこの家を去るに臨んで、果して口をつぐんでおられましょうか。告別のため、今わたくしの全幅を領している感慨を、ここに吐露せずにおられましょうか……
アーニャ (哀願するように)伯父さま!
ワーリャ 伯父さん、およしなさいったら!
ガーエフ (しょげて)黄玉を空《から》クッションで真ん中へ……。黙るよ。……
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トロフィーモフ、つづいてロパーヒン登場。
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トロフィーモフ まだですか、皆さん、もう出発の時間ですよ!
ロパーヒン エピホードフ、おれの外套を!
ラネーフスカヤ わたし、もうちょっとだけ坐ってみよう([#ここから割り注]訳注 旅立ちの前に、しばらく腰をおろす習慣がロシア人にある[#ここで割り注終わり])。わたしまるで、今まで一度も、この家の壁がどんなだか、天井がどんなだか、見たことがないみたい。今になってやっと、見ても見飽きない気持で、たまらなく懐《なつ》かしい気持で、眺《なが》めるんだわ……
ガーエフ いまだに覚えてるが、わたしが六つのとき、聖霊降臨《トロイツァ》の日曜日に、わたしがこの窓に腰かけて見ていると、お父さんが教会へ出かけて行ったっけ……
ラネーフスカヤ 荷物はみんな出まして?
ロパーヒン どうやら、みんなです。(外套を着ながら、エピホードフに)いいかい、エピホードフ、あとは宜しく頼むよ。
エピホードフ (しゃがれ声で)ご心配なく、行ってらっしゃいまし。
ロパーヒン 一体どうしたんだ、その声は?
エピホードフ いま水を飲んだ拍子に、何かのみこみましたんで。
ヤーシャ (軽蔑《けいべつ》して)間抜けめ!
ラネーフスカヤ わたしたちが行ってしまうと、ここには人っ子ひとり残らないのねえ……
ロパーヒン 春が来るまではね。
ワ
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