ャ 何を泣くんだ? (シャンパンを飲む)六日すりゃ、おれはまたパリだ、あした特急に乗りこんで、目にもとまらずフッ飛ばすんだ。なんだか本当にできないくらいだ。ヴィーヴ・ラ・フランス([#ここから割り注]訳注 フランス万歳![#ここで割り注終わり])か! ……ここはどうも性に合わないよ、とても暮して行けない……まあ仕方がないさ。無学な連中も、見あきるほど見たし――もうげんなりだよ。(シャンパンを飲む)なんの泣くことがあるんだね? 身もちさえよくすりゃ、泣くことにもならんのさ。
ドゥニャーシャ (懐中鏡を見ながら白粉《おしろい》をはたく)パリからお便りをくださいね。あたしあんたが、あんなに好きだったんだもの、ヤーシャ、あんなに好きだったんだもの! あたし華奢な女なのよ、ヤーシャ!
ヤーシャ おい、誰《だれ》か来るぜ。(トランクのそばを、さも忙しそうに立ち回り、小声で鼻唄《はなうた》をうたう)

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ラネーフスカヤ、ガーエフ、アーニャ、シャルロッタ登場。
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ガーエフ そろそろ出かけなくちゃ。もう幾らもないぞ。(ヤーシャを見て)誰だい、ニシンの臭《にお》いをぷんぷんさせる奴は?
ラネーフスカヤ 十分ほどしたら、馬車に乗りこみましょうね。……(部屋をぐるりと見まわす)さようなら、なつかしい家《うち》、昔なじみの|家の精《おじいさん》。冬がすぎて春になると、お前はもういなくなる、こわされてしまう。この壁も、いろんなことを見てきたのねえ! (娘に熱くキスする)わたしの大事なアーニャ、おまえはキラキラ光っているわ。二つのダイヤモンドのように、お前の眼《め》はきらめいているわ。嬉しいの? そんなに?
アーニャ ええ。とても! 新しい生活が始まるんですもの、ママ!
ガーエフ (浮き浮きして)まったく、これでやっと万事めでたしさ。桜の園の売れちまうまでは、われわれは始終わくわくして、えらい苦労だったものだが、こうして問題がきっぱり決着して、もうどうもならんとなってからは、みんな気持が落ちついて、かえって陽気になったくらいだ。……わたしは銀行の勤め人で、今やいっぱしの財政家だ……黄玉は真ん中へ、さ。そしてリューバ、おまえだって、なんのかのと言うけれど、とにかく血色がよくなったよ、それは確かだ。
ラネー
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