齎《もたら》されることは疑ひありません。この本はあなたに生き方を、そして死に方を教へて呉《く》れませう。(中略)
 それから私の死のことを申せば、愛しい妹よ、どうぞ私と同じやうによろこんで下さい。私は穢《けが》れを捨てて清浄を着るのですから。
(そして相当の長さに亘《わた》つて信教に関する力強い訓戒が語られ、最後は次の様に結んである)では、もう一度|左様《さよう》なら、愛しい妹よ、そして何卒《なにとぞ》あなたを救ふ唯一者、神にあなたの唯《ただ》一つの信仰を置くやうに。
アーメン。」
[#ここで字下げ終わり]

 これを書き写しながら図らずも思ひ浮ぶのは、モンテエニュがその『随筆』のなかに引用した「哲学を学ぶは死することを学ぶに外《ほか》ならぬ」といふシセロの言葉である。モンテエニュは実に「死ぬことを学ぶ」ことに苦心した人であつた。「余が自らに就《つ》いて最も気掛りになつてゐるのは、余が美しく、即《すなわ》ち気長に騒がずに、悠揚として死にたいと云ふことだ」と言つてゐる。そしてジェイン・グレイは全くこの境に到達してはゐないだらうか。例へば前に挙げた手紙などは、処刑前夜の十七歳の一少女の手記としては余りに冷静なのに人々は驚くであらう。しかもそれは魂の冷やかさから来る感じでは決してないのだ。最も純粋な道徳の状態と言ふものは斯《か》かる姿をしてゐるのではないか。また最も高揚された情緒と言ふものは斯《こ》ういふ境地なのではあるまいか。

 その翌日、一五五四年二月十二日は来た。己れの意に反してイングランドの王位に在ること僅《わず》か九日、その次の日には早くも死を宣せられた幽囚の女王としてボアシャン塔に送られ、この日まで数へれば七ヶ月は流れてゐる。刑場に於ける彼女の気高い態度、そして従容《しょうよう》たる死に就いては、スタエル夫人も麗筆を振ひ、また手近かな所では漱石の所謂《いわゆる》「仄筆《そくひつ》」も振はれてゐる。だが事実は詩人の空想よりもつと残酷であつた。
 はじめメリイ女王の考へでは、ジェインとその夫ギルフォオド・ダッドレイを一緒にして、塔の広場で処刑することにしてあつた。が結局余りに強烈な印象を生むのを怖れて、ギルフォオドのは広場で、ジェインのは塔の構内でと、別々に行はれることに変更された。先《ま》づギルフォオドが曳《ひ》かれて行つた。彼が妻の獄窓の下を通りかかつた時、
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