所の市立公園ではオーケストラが音楽を奏《かな》で、合唱団が歌をうたっていた。やがてヴェーラ・イオーシフォヴナがその手帳を閉じたとき、一同はものの五分ほど沈黙のままで、合唱団のうたっている『*榾《ほだ》あかり』の唄に耳を傾けていた。この唄は、いまの小説の中にこそなかったけれど人生にはよくあることを伝えているのだった。
「御作品は雑誌などに発表なさるのですか?」と、スタールツェフはヴェーラ・イオーシフォヴナに聞いた。
「いいえ」と彼女は答えた。「どちらへも発表はいたしませんわ。書いては戸棚の中にしまっておきますの。発表して何に致しましょう?」とその理由を説明して、「だって私どもには財産がございますもの」
 すると一同はなぜかしら溜息《ためいき》をついた。
「さあ今度はお前さんの番だよ、猫ちゃん、何か一つ弾《ひ》いてごらん」とイヴァン・ペトローヴィチが娘に向かって言った。
 召使たちがグランド・ピアノの蓋《ふた》をもち上げ、もうちゃんと用意のしてあった譜本を押しひらいた。エカテリーナ・イヴァーノヴナは席について、両手でもってキーをがんと叩いた。かと思う間もなく、またもや力任せに叩きつけた。そ
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