ナはこれを頗る満足に思って、しごく冷静な態度で赤んぼを引渡した。情熱的すぎる女の愛はえてしてそうしたものだが、子どもの父親にたいする彼女の愛は、いささかたりとも子どもの上には移らなかったのである。
 とはいえ、彼女にとっては今やこの世に、光明も暗黒も、不幸も幸福も、わびしさも喜びもなかった。彼女にはなんにも分らず、誰ひとり愛するでもなければ、自分を愛する気もしなかった。彼女はただもう囚人隊の出発の日を待ちこがれ、そうなれば可愛いセリョーシカに再会する折もあろうかと思うばかりで、子どものことなんかてんで念頭になかったのだ。
 カテリーナ・リヴォーヴナの希望は裏ぎられなかった。重たそうな鎖をひきずり、顔に焼印をおされたセルゲイは、彼女と同じ組になって、監獄の門をあとにしたのである。
 一たい人間というものは、どんな忌わしい境遇に陥っても、なんとかしてそれに馴染もうとするものだし、どんな境遇にあっても、できるだけ自分の無けなしの喜びを求める力を失わぬものである。ところがカテリーナ・リヴォーヴナにとっては、順応などという面倒な手数はてんから入らなかった。セルゲイとの再会がかなった――彼さえいて
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