口走るのだった。――
「いいわ、そうなったらもうあたし、立派な商人にお前さんを仕立てあげてみせるわよ。そしてお前さんと、天下晴れての夫婦ぐらしをするんだわ。ただねえ、お前さん、事がまんまと落着するまでは、下手にくよくよしてあたしをがっかりさせないでおくれよ。」
 そこでまたもや、接吻と愛撫がひとしきりつづいた。
 年寄りの番頭は納屋で寝ていたが、深い眠りのひまひまに、夜ふけの静寂をみだしてひびいてくるさざめきを、だんだん耳の底に感じはじめた。どうやらそれは、どこかその辺に腕白小僧が寄りあって、ひとつあのよぼよぼ爺いに一泡ふかせてやろうじゃないかと、さかんに悪計をめぐらしていでもするような、ひそひそ声と忍び笑いでもあったし、かと思うとまた湖の妖精たちが、行き暮れた旅人か何かをなぶり物にしているみたいな、甲だかい陽気な笑いごえでもあった。それはほかでもない、月の光りをぴしゃぴしゃ撥ねかえしたり、ふっくらした毛氈の上をころげ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ったりしながら、カテリーナ・リヴォーヴナが亭主の使っている若い番頭を相手に、じゃれたり、いちゃついたりしている声だったのである。
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