はやたらに喋りたがったが、セルゲイは眉をしかめて黙りこくっていた。
「まあ、ご覧よ、セリョージャ、すばらしいわ、まるで天国だわ!」とカテリーナ・リヴォーヴナは高らかに叫んだ。その眼は、彼女のうえに蔽いかぶさっている花ざかりの林檎のぎっしり茂った枝ごしに、澄みわたった青灰いろの空をじっと見あげている。そこには満月が冴え冴えとうかんでいた。
月の光は、林檎の葉や花のあいだをこぼれて、世にも気まぐれな明るい斑らを、仰向けに寝ているカテリーナ・リヴォーヴナの顔や全身に、さざ波のようにちらつかせていた。大気はひっそりしていた。ただかすかな生暖かいそよ風が、眠たそうな葉並みを時おりさやさやとそよがせて、花をつけた野の草や木々のほのかな香りを、あたりに振りまくばかりだった。つく息は、なにがなしに悩ましく、さながら怠惰へ、安逸へ、さらには小暗い願望へと、人の心をそそりたてるかのようだった。
カテリーナ・リヴォーヴナは、男の返事がないので、また無言にかえって、うすバラ色をした林檎の花ごしに、相かわらず夕空を見つめていた。セルゲイもおなじく無言だったが、これはべつに夕空に気をとられているわけではなかっ
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