話がはじまる。
「一たいなんだって、とっつぁんの葬式を出すようなことになったんだね?」と、良人がたずねる。
「ただもう、ぽっくり亡くなったもんで」と細君、「とりあえずお葬いを出しましたの。」
「しかし、なんぼなんでも意外だったなあ!」
「神様の思召しですわ」とカテリーナ・リヴォーヴナは答えて、茶碗をかちゃかちゃいわせはじめた。
 ジノーヴィー・ボリースィチは、沈みこんで部屋の中を行きつ戻りつしていた。
「ところでお前さんは、おれの留守のあいだ、どんなふうに暮らしていたかね、退屈じゃなかったかい?」と、またもジノーヴィー・ボリースィチが細君を根ほり葉ほりしはじめる。
「うちの楽しみといったら、世間にもおおよそ知れ渡っているはずですわ。舞踏会へ行くわけじゃなし、お芝居なんぞ尚更のことですわ。」
「それにどうやら、亭主の顔を見ても、大して嬉しくもなさそうだね」――じろりと横目をくれながら、ジノーヴィー・ボリースィチが切りこんだ。
「あら、おたがいもう、ほやほやの御夫婦じゃあるまいし、久しぶりで会ったからって、まさか無分別にのぼせあがりも出来なかろうじゃありませんか。この上、どんな風に嬉しがって見せろと仰しゃるの? わたし、こうしてふうふう駈けずり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]って、あんたの御機嫌をとっているのにさ。」
 カテリーナ・リヴォーヴナは、サモヴァルを取りにまた部屋から駈けだしたついでに、またもやセルゲイのところへ駈けつけると、袖をぐいと引っぱって、こう言った、――『ぼやぼやおしでないよ、セリョージャ!』
 セルゲイは、一たい何事がおっぱじまるのやら、さっぱり合点が行かなかったが、とにかく身構えだけはしたのである。
 カテリーナ・リヴォーヴナが戻って来てみると、ジノーヴィー・ボリースィチは寝床の上に両膝をつきながら、枕もとの壁に南京玉《ビーズ》の紐のついた自分の銀時計を掛けているところだった。
「こりゃ一体どうしたわけだね、ええカテリーナ・リヴォーヴナ、一人で寝るのに二人分もふとんを敷いてさ?」と、さも怪訝《けげん》そうに、彼はだしぬけに細君にきいた。
「しょっちゅうお帰りを待ってたんですわ」と良人の顔を平然と見すえながら、カテリーナ・リヴォーヴナは答えた。
「これまた、厚くお礼を申しあげにゃならんわけだな。……ところでと、こんな物が羽根ぶとんの上に落
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