たり揺らめいたりしている有様は、火のような紅蛾のはげしい羽ばたきか、それともその木かげの草むらが、一からげに月の投網《とあみ》に引っかかって、あちこち泳ぎまわっているところか、と疑われるばかりだった。
「ねえ、セリョージェチカ、なんて素晴らしい晩だろうねえ!」と、くるりと振り返って、カテリーナ・リヴォーヴナは声高にさけんだ。
 セルゲイは、くそ面白くもないといった顔つきで、一応あたりを見まわした。
「どうしたのさ、セリョージャ、そんなつまらなそうな顔をして? それとももう、あたしたちの恋なんか、あきあきしたとでもいうのかい?」
「つまんない事を言うもんじゃねえ!」と、セルゲイは素気ない調子で応じて、身をかがめると、さも面倒くさそうにカテリーナ・リヴォーヴナに接吻をあたえた。
「浮気なんだねえ、お前は、ええセリョージャ」と、カテリーナ・リヴォーヴナはつい嫉妬に口をとがらせて、――「だらしがないんだねえ。」
「よしんばそれが、ただの口説《くぜつ》にしたところで、おいらにゃ一向、身におぼえのないことさ」と、セルゲイは落ちつきはらった口調でこたえた。
「じゃ、なんだってそんなキスの仕方をするのさ?」
 セルゲイは、すっかり黙りこくってしまった。
「そんなのは、夫婦の仲でしかしないものだよ」と男の渦まき髪をいじくりながら、カテリーナ・リヴォーヴナは言いつのった、――「つまり、お互いに唇の埃を払いあうだけのことさ。お前、かりにもあたしに接吻するからにゃ、そらあたしたちの上の林檎の木からね、咲きたての花がポトリと地めんへ落っこちずにはいないようにするものだよ。」
「そらね、こう、こうするものさ」と、カテリーナ・リヴォーヴナは囁きざま、情夫のからだをぎゅっと抱きしめて、情熱に身もだえしながら唇を押しつづけた。
「ねえ、セリョージャ、あたしの言うことをお聞き」と、カテリーナ・リヴォーヴナは、暫くしてまた言いだした、「お前さんのことというと、みんなきまって浮気者だというのは、一体どうしたわけなんだろうね?」
「そんな悪口を言いふらす奴は、一体どこのどいつですかい?」
「だってさ、みんながそう言うもの。」
「そりゃ俺らだって、まるっきり惚れる値打ちのない女たちにゃ、煮湯をのましたこともありまさあ。きっとそんな時のことを言うんだろうなあ。」
「なんてお馬鹿さんなの、お前は、惚れる値打ちのな
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