議した。ファシスト? 狂人? などといふ囁《ささや》きが僕に聞えた。しかし結局、滞留許可証は与へられた。滞留場所は、HW一〇九Pといふ指定である。
 君はこのHW一〇九Pといふのを、どんな場所だと思ふか? 僕が先日の放送で、それを極楽にも比すべき豪壮快適なホテルとして紹介したのを、恐らく君は記憶してゐるだらう。だがあれは、プレスコードの勧告に従つたまでのことで、実は病院――しかもその精神科だつたのである。僕がひそかに盗み見た僕のカルテには、封建主義的|羞恥《しゅうち》症と記載してあつた。さして重症でなかつたものか、それとも山羊《ヤギ》博士の治療が卓抜であつたせゐか、僕は三日ほどで全快を宣せられた。さてそこで僕は、ホテル住まひの身になれたか? 断じて否《いな》。僕が次に居住を指定された場所は、同じ病院内の、なんと産婦人科であつた。
 全く、なんといふ侮辱だらう。僕の忿懣《ふんまん》はその極に達したが、今度も抗弁は無効であつた。僕は科長である鰐《ワニ》五郎博士、および研究室附きの若い看護婦、鶉《ウズラ》七娘に引渡され、病棟内の小部屋に収容された。
 改めて言ふまでもなくQ国の家屋は、その国是《こくぜ》に則《のっと》つて、礎石と鉄骨を除くほかは壁も床も天井も屋根も、全部が無色の透明ガラスである。カーテンや家具や食器も、やはり同様である。病院建築にしても、無論その例外ではない。もつとも技術的ないし人道的な見地から、特例として局所的な遮蔽《しゃへい》の行はれる場合もある。つまり分娩《ぶんべん》とか掻爬《そうは》とかの、苦痛や惨忍性を伴ふ場合がそれであつて、この時は手術台なり分娩台なりを、到底肉眼の堪へぬほど強烈な白熱光をもつて包むのである。ただし患者および施術者に限つて、特殊な黒|眼鏡《めがね》の着用が許される。つまり光を以て光を制するわけで、この遮蔽法は頗《すこぶ》る透明主義の理想にかなふものと言はなければならぬ。(ちなみにこの遮蔽法は男女間の或るプライヴェートな交渉の場合にも、当分のあひだ[#「当分のあひだ」に傍点]適用を許されてゐる。)
 さて、僕の収容された室《へや》の両隣りはガラスの壁を境に手術室であり、ガラスの廊下をへだてた向うは診察室であつた。そこで僕は、眼のやり場に窮して、神経衰弱になつたか? 断じて否。僕はここに於《おい》て、はじめて病院当局の意の存するところを知つた。僕が産婦人科に収容されたのは、つまり羞恥症の快癒状態を実地によつて検証するためであつたのだ。僕はこのテストにパスして、一週間後には解放されるはずであつた。
 僕がこの二度目の入院中に見聞したことで、書きもらしてならぬことがある。それは女性を「女性」から解放する研究が、すでにこの国ではかなり進んでゐることである。それは煎《せん》じつめれば、出産を全免ないし禁止することでなければならない。精子と卵子との試験管内における人工交配は、すでにQ国では一般化されてゐるけれど、それでもまだ遊戯的な恋愛の結果たる姙娠《にんしん》現象は、必ずしも減少してはゐないと言はれる。それは現にこの鰐博士の分娩室や手術室が、日々相当の賑《にぎ》はひを示してゐることでも明らかだ。これに対しては専門家の間で、幾つかの根本的研究が進められつつある。例へば山羊博士は、去精の男性一般に及ぼす悪影響の除去について研究中である。これに反して鰐博士は、むしろ子宮や乳房《ちぶさ》の自然退化を促進する方を捷径《しょうけい》と見て、既に三十年をその研究に費《ついや》して来た権威者である。そして僕の見るところでは、鶉《ウズラ》七娘といふ看護婦は、主としてこの方面の研究の助手および恐らくは実験台をも勤めてゐるらしかつた。けだし僕は二人が研究室にこもつて、二人きりで例の白熱光幕に包まれるのを屡々《しばしば》見かけたからである。
 さういふ時、博士はよく「阿耶《アヤ》、阿耶《アヤ》」といふ絶叫を漏《も》らした。僕はそれを、博士が感きはまつて口にする彼女の愛称かと思つたものである。それとも、それはQ語の単なる感嘆詞だつたかも知れない。僕はひそかに嫉妬《しっと》を感じた。阿耶は楚々《そそ》たる美しい娘であつた。淡青色のガラス服を透して見えるその胸には、みづみづしいつぶらな乳頭がぴんと張つてゐた。それはまだ些《いささ》かも退化の兆候を示してゐなかつた。僕はそれを見るたびに、何かほつとするのだつた。
 僕はすでに外出を許されてゐた。嫉妬を紛らすため、僕はよく外出した。中央公園の素晴らしさについては、既に僕の送つたテレヴィで御承知のことと思ふ。やがて十二月に入らうといふこの氷海の孤島の公園は、ありとあらゆる熱帯|蘭《らん》の花ざかりである。その間に点々と、竜眼《りゅうがん》やマンゴーなどの果樹が、白や黄いろの花を噴水のやう
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