ろを知つた。僕が産婦人科に収容されたのは、つまり羞恥症の快癒状態を実地によつて検証するためであつたのだ。僕はこのテストにパスして、一週間後には解放されるはずであつた。
僕がこの二度目の入院中に見聞したことで、書きもらしてならぬことがある。それは女性を「女性」から解放する研究が、すでにこの国ではかなり進んでゐることである。それは煎《せん》じつめれば、出産を全免ないし禁止することでなければならない。精子と卵子との試験管内における人工交配は、すでにQ国では一般化されてゐるけれど、それでもまだ遊戯的な恋愛の結果たる姙娠《にんしん》現象は、必ずしも減少してはゐないと言はれる。それは現にこの鰐博士の分娩室や手術室が、日々相当の賑《にぎ》はひを示してゐることでも明らかだ。これに対しては専門家の間で、幾つかの根本的研究が進められつつある。例へば山羊博士は、去精の男性一般に及ぼす悪影響の除去について研究中である。これに反して鰐博士は、むしろ子宮や乳房《ちぶさ》の自然退化を促進する方を捷径《しょうけい》と見て、既に三十年をその研究に費《ついや》して来た権威者である。そして僕の見るところでは、鶉《ウズラ》七娘といふ看護婦は、主としてこの方面の研究の助手および恐らくは実験台をも勤めてゐるらしかつた。けだし僕は二人が研究室にこもつて、二人きりで例の白熱光幕に包まれるのを屡々《しばしば》見かけたからである。
さういふ時、博士はよく「阿耶《アヤ》、阿耶《アヤ》」といふ絶叫を漏《も》らした。僕はそれを、博士が感きはまつて口にする彼女の愛称かと思つたものである。それとも、それはQ語の単なる感嘆詞だつたかも知れない。僕はひそかに嫉妬《しっと》を感じた。阿耶は楚々《そそ》たる美しい娘であつた。淡青色のガラス服を透して見えるその胸には、みづみづしいつぶらな乳頭がぴんと張つてゐた。それはまだ些《いささ》かも退化の兆候を示してゐなかつた。僕はそれを見るたびに、何かほつとするのだつた。
僕はすでに外出を許されてゐた。嫉妬を紛らすため、僕はよく外出した。中央公園の素晴らしさについては、既に僕の送つたテレヴィで御承知のことと思ふ。やがて十二月に入らうといふこの氷海の孤島の公園は、ありとあらゆる熱帯|蘭《らん》の花ざかりである。その間に点々と、竜眼《りゅうがん》やマンゴーなどの果樹が、白や黄いろの花を噴水のやう
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