けたらいいのだらうか。何も知らないのだ……おそらくそれの無限の繰返しなのではないのか。謎は深まるばかりだ。僕にとつて、彼は興奮を抑えながら「口ごもり口ごもり」いつまでも語りつづけるところの、永遠の現在なのかも知れない。
僕が辻野君と親しく交はりだしたのは、たしか一九三五年の春ごろ、辻野君が逗子へ移つて来てからのことだつた。最後に会つたのは、亡くなる年の夏、大森の女子医専の病院の一室に彼の病床を訪ねた時である。そこが彼の死の床になつた。ふだんから嗄れぎみで低かつた彼の声は、一そう嗄れて杜絶えがちで、ほとんど会話の体をなさなかつた。僕も言葉につまつて、蠅の唸りを聞いてゐた。ただ彼の眼だけが、相変らず挑むやうに燃えてゐた。その光を僕は忘れない。彼は又しても僕にとつて、永遠に燃えつづける現在なのである。金の十字架のやうに!……
さう書いて僕は愕然とする。ではこれが謎の本体であつたのか。謎とは、永遠に燃えつづける今といふことだつたのか。
逗子に暫くゐた辻野君は、やがて七里ヶ浜の姥ヶ谷に移り、それから鎌倉の犬懸ヶ谷の入口に移つて来た。僕の家とはますます近くなつたわけである。この最後の家には、愛人のY子さんもをられた。辻野君のおそらく最後の仕事になつたモォリアックの『イエス伝』の仕上げも、たしかこの家で行なはれたはずである。そのころ長谷の通りのカトリックの会堂に、ジョリイといふ神父がをられた。辻野君はさまざまな疑義をただしに、よくこの神父さんのところへ通つたものである。僕もたしか一度連れられて行つて、辻野君が神父さんと交はす流暢なフランス語の会話を、黙つて聞いてゐた覚えがある。
だが、思へば短かい交渉だつた。犬懸の家には一年もゐずに、辻野君は死んだのである。彼がモォリアックの近作『黒天使のむれ』の読後感を、例の訥々とした口調で熱心に話して聞かせてくれたのも、この最後の時期より以前ではなかつたはずだ。
そんな短かい交際の期間を通じて、一きは鮮やかに僕の目蓋に焼きついてゐる辻野君の姿がある。それは、ある晩春の午さがり、逗子の砂浜でひつそり日向ぼつこをしてゐた後姿なのだ。東郷橋の手前にあつた辻野君の寓居を、たしか初めて訪ねた時だつたと思ふが、留守で玄関には錠がおりてゐた。たぶん海岸へ散歩に行かれたのでせうといふ家主の人の言葉に、僕は浜へ出て、はたしてそこに彼の後姿を発見したの
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